運命について考える(2)

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前回、運命は自分で生まれてくる証拠があると書きましたが、そう思った理由の一つが離婚です。

離婚する人の生年月日には特徴があります。
この特徴があれば多くの場合離婚します。
私の経験では、生年月日にこの特徴がありながら離婚しないのは、どちらかが人一倍許す心をもっているか、あるいは耐える心を持っている場合です。しかしそれは少数です。
この数字を持って生まれてきた魂は、相手を許すこと、耐えることを学ぶ計画だったのだと思います。

ところで現在は生年月日に離婚の特徴を持たない人達がよく離婚をします。
昔は離婚して家に帰ることを世間体の悪いことと考えましたが、現在は性格が合わなければ離婚するのが当たり前になっています。
無理して一緒にいるよりはその方が良いのかも知れませんが、生まれる前に決めた運命と異なっていたり、子どもの貧困問題にもつながります。

もう一つ自分で運命を決めてきたのではないかと思ったのは占いです。
四柱推命や占星術を深く研究した人の占いは驚くほど当たります。
作家の五味康祐さんは四柱推命の大家でしたが、自分の死期を四柱推命で占いその通り亡くなったと言われています。

四柱推命や占星術は生年月日で占うものであり、自分の生年月日(時間)における太陽、地球、月の磁場・引力によって、人生を支配する波動や生命のリズムが決定されます。
太陽(陽)、地球(中)、月(陰)の関係は性格形成にも影響を及ぼし、生年月日を見れば明るい性格か暗い性格かがわかります。

もし自分の生年月日を選んで生まれることができれば、運命のかなりの部分が決定されます。
しかし自分が生まれる生年月日(時間)まで、自分で決めることができるでしょうか。
少なくともかなりの誤差があるはずです。

最初に証拠があると書きましたが、そこまで言い切るには無理があります。
運命を生年月日だけで決めることは難しいようです。

(運命は誰が決めるのか)
多くの場合、自分の欠点と同じ欠点が両親のどちらかにあります。
それは親の欠点に影響されて自分もその欠点を持ったのではなく、自分の欠点・カルマが引き出されやすいように、親を選んで生まれて来るからではないでしょうか。

親子は偶然に決まるものではなく、生まれる前に親となる魂に人生の目的を達成するために協力をしてくれるようお願いするようです。
一方で過去世で確執のあった人間と親子の関係で生まれて来ることもあり、その確執がなくなるまでは生まれ変わりを繰り返すようです。

(運命を決めるのは自分自身)
よく神は乗り越えられない試練は与えられないといいますが、それは自分で運命を選んで生まれて来るからでしょう。
自分自身で決めるのであれば、自分で耐えられない運命を選ぶはずがありません。

しかし運命は決定的ではなく、自由意志によって変わります。
また現在の社会は価値の中心が物質にある厳しい環境ですので、過酷な人生に耐えきれず、失敗してあの世に帰る魂が少なくないようです。
むしろ生まれてくる前の魂レベルを下げてあの世に帰る魂の方が多いのかもしれません。
それほど三次元は厳しい環境です。

人生の目標はカルマの修正と世の中のために生きることにあるようですが、それは次回に書きます。



運命について考える

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何不自由なく恵まれた一生を送る人がいる一方、生まれた時から肉体的、経済的なハンディを背負って生まれて来る人がいます。
それは不条理で不公平なことでしょうか。

運命とは何か、なぜ運命があるのかについて考えてみたいと思います。

自分の身に起きて来ることはすべて偶然で、必然的な運命など無いと考える人もいるかもしれません。
しかしどのような親から生まれて来るか、親の経済的な状況はどうか、自分に与えられたDNAはどのようなものかなどによって人生は大きく左右されます。

さらに、どのような友と会い、どのような師につき、どのような異性と出会うかなどによって人生は変わってきます。
見えない糸によって導かれ、結ばれ、操られることがあります。
その見えざる糸、見えざる手も運命の計画と考えられます。

(運命か偶然か)
運命を考える時、人の魂は永遠で輪廻転生を繰り返すものでなければ説明がつきません。
魂が存在せず人生が一回きりであるなら、生まれる前からの人生の筋書きが存在するはずがないからです。

人生はすべて偶然の産物であり、人生で学んだことは死と共にすべて失われるのであれば、人生にたいした意味はありません。

(魂の成長)
人は生まれ変わりを繰り返し、様々な人生を経験して魂を成長させます。
人は自分の魂の成長にもっともふさわしい両親・環境を選んで生まれて来ます。

もし大金持ちで優れた遺伝子を持った親を選べば、三次元的には恵まれた人生が約束されますが、そのような人生が魂の学びにとってふさわしいかどうかはわかりません。

以前の記事「本当に幸せな人」でご紹介したCoCo壱番屋の創業者・宗次さんのように、両親を知らず孤児院で育つような厳しい環境のなかで魂を成長させた人もいます。
宗次さんは、そのような環境を選んで生まれてきて、見事課題をクリアーしたのだと思います。

しかし人は本当に両親や家庭環境や自分の肉体的条件を選んで生まれてきたのでしょうか。
そうであると思える証拠があります。
そのことは次に記したいと思います。






「アマゾン・プライム」には気をつけよう」

アマゾンプライム

先だってクレジットカードの請求明細に、アマゾン・プライムの料金3900円が記載されていて驚きました。そんなもの利用した覚えはないのだがと思いをめぐらせると、注文の時、「通常配送」と「アマゾン・プライムで配送する」との選択を間違ったのだと気付きました。

「アマゾン・プライム」が優先表示されており、また間違って注文するように小さい文字で書かれてあるのです。
しゃくにさわるので解約しようと思ったのですが、今解約すれば見す見す3900円損する事になるので来年8月まで利用することにしました。

しかし来年解約を忘れたら自動的に延長されるので、来年のカレンダーを入手したら早速8月のページに、大きく、「アマゾン・プライム解約」と書きこんでおく予定です。

アメリカのアマゾン・プライムの会員は1200万人を超えており、年会費収入だけで6200億円に上るといいます。
今年日本でアマゾンが配送を有料化したのも、配送費の高騰だけではなくプライム会員を増やすためだったようです。
アマゾンの日本での売り上げは今年1兆円を超える見込みですが、日本のアマゾンは倉庫の扱いであるため所得税はゼロです。

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最近こう言った人を落としいれるような手法が大手を振っています。
多くの人が体験しているはずですが、携帯電話の解約も更新時期を外すと多額の違約金を取られます。最近見直すように指導が入っているようですが、昔の日本企業ならこんな恥ずかしい商売はしなかったはずです。

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日本には創業100年以上の企業が2万6000社以上あり、200年を超える企業が3146社あります。2位はドイツの837社、オランダが222社、フランスが196社と続きます。

創業200年以上の企業は世界で5586社ですので、56%以上が日本にあることになります。ちなみに世界最古の企業は、578年創業の建設会社金剛組で聖徳太子の時代に四天王寺を建立しています。

こうした老舗企業に共通しているのは、信用第一、正直、勤勉、倹約といった家訓です。嘘をついたり騙したりすればその途端に信用を失い、客は離れていきます。

苦労をして事業を立ち上げた創業者と違い、2代目、3代目・・・となると安易に利益追求に走りがちですが、誘惑に負けず厳しく家訓を守った企業だけが生き残っています。
200年以上続く企業が3146社あるところに、日本人のすぐれた特性(徳性)が現れています。

家訓を守り長く存続してきた企業の存在は、心がすべての価値の中心にあることを示しています。
人をだましても儲けれさえすればよいと考える企業が永続するはずがありません。
強欲資本主義は神の摂理に反する領域に入っており、近い将来限界に達するのではないでしょうか。


日本の老舗企業一覧





言霊と元号

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今上天皇の譲位(生前退位)が平成30年までに行われる見通しです。
ご高齢の陛下にはゆっくりと今後の時間をすごしていただきたいと願う一方、高貴で仲睦まじい天皇皇后両陛下が表舞台から去られることを残念にも思います。

天皇が変われば元号が変わることになりますが、「平成」は言霊的に問題が多すぎたようです。
むしろ最悪の年号だといってよさそうです。

作家の丸谷才一さんは『元号そして改元』で、平成という元号の問題点について書いています。

≪・・・「中国の年号では平の字が上にくるものは一つもない。日本では、これ以前はただ一つの平治があるだけで、平治と定めるとき、中国の例を引いてもめたのだが、多勢に無勢だった。果せるかな、あの戦乱(注 平治の乱)が勃発。翌年1月、改元。

しかしわたしが平成をしりぞけるのはこのためだけではない。日本語ではエ列音は格が低い。八世紀をさかのぼる原始日本語の母音体系は、a,i,u,oという四つの母音から成っていたと推定される。(大野晋『日本語の形成』)

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日本語の形成

大野さんの説によると、このため後来のエ列音には、概して、侮蔑的な、悪意のこもったマイナス方向の言葉がはいることになった。アハハと笑うのは朗らかである。イヒヒとは普通は笑わない。ウフフは明るいし、オホホは色っぽい。しかしエヘヘは追従笑いだ。エセとかケチとかセコイとか、例はいくらでも。

なかんづくひどいのがヘで、例のガスを筆頭に、押されてくぼむのはヘコム、疲れるのはヘコタレル。言いなりになるのはヘーコラ、上手の反対はヘタ、ご機嫌取りはヘツラフ、力がないのはヘナヘナ、いやらしい動物はヘビ、と切りがない。
ヘイセイ(実際の発音はヘエセエ)はこのエ音列四つ並ぶ。明るく開く趣ではない。狭苦しくて気が晴れない。これでは『史記』の「内平らかに外なる」、『書経』の「地平らかに天成る」にもかかわらず世が乱れるのは当たり前だった。

・・・元号のせいで凶時がつづくなどと言うと、縁起をかつぐみたいで滑稽かもしれない。しかしあれはもともと呪術的な記号である。縁起ものだからこそ、平治のときのように、これはいけないとなると改元した。一世一元と定めた法律は、古代の慣行を捨てかねずにいながら、しかも古人の知恵を無視して、生半可に近代化している。早速、法律を手直しして改元すべきだろう。・・・≫

丸谷才一さんの見解は言語学者の大野晋さんに負うところが多いようですが、作家の加藤廣さんも『昭和への伝言』で、「平成」の問題点について次のように書かれています。


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≪「平成」の二文字・・・
「内平らかに外なる」(『史記』)
「地平らかに天成る」(『書経』)
からの引用だそうで、国の内外にも天地にも平和が達成されるという意味が込められているとのこと。

・・・(元号って、国の姓名判断みたいなものだろう。ならば支那=中国の出典などはどうでもいい。そんなことより日本の年号の歴史で、これまで「平」と「成」の二文字が、どう取り扱われていたのか。そのほうがもっと大事だろうに)
そう思ったボクは、早速歴史の本を引っ張り出し、おもしろ半分に調べてみた。そして驚いた。「平」も「成」もほとんど使われたことのない文字だったのである。

ちなみに平成の年号は、最初の年号の「大化」から数えて、百四十七番目に当たる。これまで年号に用いられてきた文字は七十二字。うち一回だけの使用文字が三十字。この程度なので、実際は四十字ぐらいが何度も繰り返して使われてきたようである。
その中で「平」の字は、天平、寛平、承平、平治、正平など十一回。そして、そのほとんどが、疫病の流行(天平)、将門の乱(承平)、武士の台頭と興隆(平治・正平)等々、天下大乱の時。以後忌避されたものか、六百年以上使われていない。「成」に到っては、一度しか使われたことがないのである。

二つあわせれば、「天下大乱成る」というわけでますます不吉きわまりない。
・・・困ったな、ろくな時代にならないんじゃないのかなーーそんな危惧が残った。

ではそういうお前たちの「昭和」はどうだったのか?
平成生まれの若い人たちに、そう問い詰められる前に、結論から言う。「昭」も初出、「和」は十九回。これもたいしたことはないのである。
・・・実際、昭和には、文化的にみても、平成の若い方々に誇れるようなものはなに一つなかった。いたずらに合法的に人殺しをするための文明だけが異常に発達し、よき日本の文化と自然まで壊してきたのではなかったか。
―国破れて山河もなしー


「平成」の元号を考えたのは陽明学者の安岡正篤(やすおか まさひろ)であると言われています。丸谷才一も安岡ではないかとほのめかしていますが、元号は縁起物なので昭和天皇崩御前に亡くなった安岡の案が採用されることはないだろうともいわれます。
昭和天皇崩御の後、元号に関する懇談会が開かれ、この懇談会にはメディア関係の大物や大学総長(専門はそれぞれ刑法学と病理学)が参加していたようです。
丸谷才一は、そんな人たちではなく、日ごろ言葉の使い方で苦労している、語感の鋭い、詩人、劇作家、小説家を入れればよかったのに、と述べています。

もし元号が「平成」でなかったとしても、バブル経済のツケは払わなければならず、東日本大震災も避けることはできなかったでしょう。
しかしながら日本人が毎日目にし口にする「平成」という言葉が、日本人の集合意識に影響しないはずはなく、もしそれが平成ではなく明るく力強いものであったとすれば、昭和が終わった後の時代の様相は違ったものになったはずです。

いにしえ人が「言霊の幸ふ国」と呼んだこの国ですから、近々現実となる改元において、未来に希望の抱ける元号が制定されることを願います。






「少年時代」は夏の歌か

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井上陽水の「少年時代」は、いまや夏を代表する曲となっている。
日本人なら誰もが郷愁を覚える名曲だが、本当に夏の歌なのだろうか。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    「夏が過ぎ 風あざみ
    だれの憧れにさまよう
    青空に残された 私の心は夏もよう」 
  

風あざみは造語らしい。
夏が過ぎて秋になったが、青空を見る私の心は夏模様なのだと理解できる。
「だれの憧れにさまよう」、・・・なんとなく詩的な表現だが意味不明。
  
    「夢が覚め 夜の中 長い冬が
    窓を閉じて 呼びかけたままで
    夢はつまり 想い出の後先」 
   

夢から覚めたら冬の夜だったらしい。窓を閉じて呼びかけてきたのは「長い冬」だったのだろうか。親切な長い冬だ。
「夢はつまり 想い出の後先」、・・・「つまり 想い出の後先なのだ」、と言われても何がつまりなのかわからない。

     「夏祭り 宵かがり 胸の高鳴りに合わせて
    八月は 夢花火 私の心は夏もよう」
    

冬からいきなり夏祭りである。「宵かがり」、「夢花火」は陽水の造語だが、ここの文脈は珍しく意味が理解できる。
「私の心は夏もよう」は、夏が過ぎたけれど私の心はまだ夏模様というのではなく本当に夏なのだ。
 
    「目が覚めて 夢のあと 長い影が
    夜に伸びて 星屑の空へ
    夢はつまり 想い出の後先」 
   

長い影ができるのは冬だから、ここは冬のことだろう。しかし夜の星空に伸びる長い影っていったい・・・
普通の人はおかしいと思うだろうが、井上陽水はおおらかなのだ。

     「夏が過ぎ風あざみ 
    だれの憧れにさまよう
    八月は 夢花火 私の心は夏もよう」 
   

「風あざみ」は造語らしい。夏は過ぎたけど「八月の花火は楽しいな、夏はいいな~」と主人公は回想し、私の心は夏模様だと歌っているのだ。
「だれの憧れにさまよう」、誰が誰のあこがれにさ迷うのか、詮索してはいけない。

上記のように、この歌が夏の歌である証拠は何もない。はっきり言えるのは、主人公は冬の長い夜に目が覚めてしまって、夏はいいなといっているのだ。
にもかかわらず、この歌を聞いてだれもが夏をイメージするのは、さすが井上陽水というべきなのだろう。









供養について考える

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先だって母親の法事で実家に帰った時、永代供養をどうするかと聞かれたので、「必要ないと思う」と答えました。

その理由は後に記しますが、仏教の儀式については、形式化し意味がわからず行っているものがすくなくありません。

日本人と供養の歴史について考える手掛かりが墓にあります。
日本に個人の墓ができたのは(貴族や権力者の墓を除き)江戸時代中期か、せいぜい江戸時代前期と言われます。
中世まで墓が無かったのは、人は死ねば極楽浄土に往生すると考えられていたからですが、墓に入るよりはるかに好ましい死生観です。

現在の墓の主流である、「~家の墓」という家族墓に至っては明治時代に一般化したといわれます。
(東大の本郷教授によれば、綱吉の生類憐みの令以降に家族墓ができたといわれています。)
私たちが当たり前だと考えている墓や墓参りが、比較的最近になってできたものであることに驚きます。

なぜ江戸時代になって墓ができたのかはっきりしませんが、中世までの戦乱の世では、人々は厭離穢土(おんりえど)、けがれてつらいこの世を去って、極楽浄土に往生することが何よりの願いでした。
しかし江戸時代に入り、世の中が安定し人々が生活を楽しむようになると、人は死んでもこの世に執着を持つようになったのではないでしょうか。

そうしてあの世に帰らずこの世に執着する霊が増えると、人々の生活に支障が出てきます。
成仏しない魂に対して死んだら墓に入ると教えることで、人々の日常生活と死者の世界の住み分けをはかったのかもしれません。

死んだら墓に入ると思いこんだ霊は、帰るべき光の世界がわからず、成仏できずにこの世に留まることになります。
供養とは魂を光の世界、浄土に帰すことです。
しかし、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌、五十回忌、あるいは永代供養などというと、何回供養すれば魂をあの世に帰すことができるのか疑問に思います。

(兄弟親族が集まる場としての法事は、みんながバラバラに暮らす現在では貴重な出会いの機会であることは間違いありません)

浄土信仰は、仏像という物質を有りがたがり、僧侶の読経によって極楽に往生できると考える他力信仰となりました。
しかし光の世界に帰る為には、光の世界にふさわしい心でなければなりません。
生前、自己中心的でまわりの人々を不幸にした人間が、いくら死んだ後にお経を読んでもらっても光の世界、浄土に帰ることはできないはずです。
そのような魂は、あの世で自分の過ちに気付くまで、光の世界に帰ることはできません。

経とは経糸(たていと)のことです。
経糸がぐらついては、しっかりした織物はできません。
人生の指針となる、永遠に変わることの無い真理を経と呼んだのです。
お経は生きている人間が理解し行うべきものであり、死者に聞かせるものではありません。

仏教はお釈迦様の説いた原点に帰らなければなりません。

参考:
戒名とは何か

佐藤弘夫著「死者の花嫁―葬送と追想の列島史―」
死者の花嫁とは現在の山形県村山市で、独身のまま亡くなった男子に花嫁を添わせた絵馬を作り、死者を弔う風習をさします。

広葉樹の恵みと日本人が失ったもの

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今年の春、山形の天童市と東根市の山々を見た時の感動は忘れられない。

やわらかい黄緑色の新緑に覆われた山の様子は息をのむほど美しかった。

 

戦後、焼け野原と化した日本に住宅を建てるため、おびただしい数の針葉樹が山に植えられた。日本人の徹底した仕事ぶりによって山は針葉樹に埋め尽くされたが、それらは現在手入れされない痩せた森林となっている。

しかし東北には美しい広葉樹が残っていた。

 

日本の文化は広葉樹林文化(照葉樹林文化)と呼ばれる。

縄文時代は落葉広葉樹林がもたらす豊かなドングリや栗、栃などの実によって、人々は争うことなく平和に暮らしていた。

縄文時代が1万5千年以上平和に続いたのは広葉樹林の恵みによってであった。多分、日本人の和を尊ぶ心の原点には広葉樹があったのだと思う。

 

高度成長期の頃だったか、「日本は戦争に負けて良かったか」という問いかけがよくなされた。当時は「民主主義になったので負けて良かった」という意見が大半だったが、もしその議論で日本が敗戦で何を失ったかが語られていたら、戦争に負けて良かったという意見は出なかっただろう。

 

敗戦によって衆愚政治としての民主主義と引き換えに日本人は多くのものを失った。

 

権利や自由の過度な主張、国を愛する心の否定、なんでも責任転嫁し自分は悪くないと思う反省の欠如、家族制度の破壊(大家族制度の崩壊が少子高齢化、地方の過疎化の原因となっている)、これらの背後にはGHQの日本弱体化計画があった。

さいわいにして和を尊び、礼儀を重んじ、慎み深く謙虚であること、まじめで勤勉でより高みを求める心はまだ日本人の心から消え去っていない。これらの美徳は、もしかしたら広葉樹の恵みによって縄文時代から日本人のDNAに刻まれてきたのかもしれない。

 

そういえば敗戦によって広葉樹の景観とともに街並みの景観も失われた。

戦後、GHQが日本の立派な家屋を接収したあと、柱にペンキを塗ったといわれている。文化のないアメリカではなく、もしフランスやイギリスに占領されていたのなら、もうちょっとマシな街並みになっていたかもしれない。

 

日本が敗けて良かったことなどないと、広葉樹の山々を見ながらあらためて思った。

 

 

日本の戦いとはなんであったか

日本の戦いとはなんであったか(2)

日本の戦後に行われたこと

本当に幸せな人

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 宗次徳二さん

名古屋の栄にあるクラシック音楽ホール「宗次(むねつぐ)ホール」に行くと、入り口で一人一人の客に、にこやかに「いらっしゃいませ」と声をかける男性がいます。それがカレーチェーンCOCO壱番屋の創業者でこのホールを作った宗次徳二さんです。
宗次さんは客を迎え入れた後、自分もホールに座り好きなクラシック音楽の演奏に耳を傾けます。

自分が作ったホールで世界の演奏家の音楽を聴く、いかにも優雅な人生に見えますが、宗次さんが歩んだ人生はすさまじく厳しいものでした。
15年くらい前、あるセミナーで宗次さんの話を聞く機会があり、その壮絶な生い立ちに驚いたことがあります。
人の成功を祝福する事は容易ではありませんが、宗次さんの生い立ちと人間性を知れば、誰もがその成功を心から祝福するはずです。


宗次さんの人生を下記サイトから引用します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「壮絶すぎてやばい!孤児院育ちCoCo壱番屋創業者宗次徳二の半生」
「INTERVIEW」
「辣腕経営者の朝の過ごし方」
宗次徳二-Wikipedia]

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「戸籍上は石川県生まれですが、両親が誰なのかわかりません。兵庫の孤児院で育ち、3歳の時に雑貨商を営む夫婦に引き取られました。ところが養父がギャンブルにはまって財産をなくし、夜逃げするように岡山に移ったんです」

「数百円でもあれば、それをギャンブルに使う性格。パチンコに行く毎日でした。私は掃除をしていないだけで、殴られたりもしました。すごく暴力を振るう人でした。」

「時には荒れて、隣近所に包丁を持って暴れることもありました。そんな養父に愛想をつかして、養母は家を出ました。」

「雑草を食べて育ちましたから。食べるものにも事欠き、隣の家の暖かな食卓をうらやましく覗いた日々だった」「ごちそうといえ ば、煮干だったんです。」

「パチンコ店でシケモク(たばこの吸い殻)を父のために必死になって拾った。私は掃除をしていないだけで、殴られたりもしまし た。」

「電気もなく、ろうそくの生活でしたよ。千円札なんて見たこともなかったです。」

「貧乏で弁当を持っていくことができずに、みんなが昼ごはんを食べ終わるまで、校舎の裏で一人じっと待っていることもありまし た。」

「家庭訪問も断った。4畳半の貧乏生活を学校の先生に見られるのが嫌だったんです。

   (亡くなった養父についての思い出)

「職業安定所から年末に一時金として、少しだけお金をもらえたことがありました。その時に、そのお金で養父がリンゴを2つ買 てくれました。それくらいしか思い出らしい思い出はないんですが、その時の嬉しい気持ちは今でも覚えていますね。」


   (無私無欲ぶり)

お金を自分のために使うのは恥ずかしくてできない」
「時計は9800円、シャツは980円で、自宅は接待用に少し大きなものを建てたのだが、それも恥ずかしいこと」

「社外の交友関係などは一切広げずに、常にお客様のことだけを考え続けていました。自分に期待してくれる人に少しでもお返しをしたい。だから時間も体力も無駄遣いしたくなかったんです。」

「一日ずつ、一月ずつ、目の前のお客さまに対して一生懸命にサービスをすること。ただ、それだけのことでした」

「何よりもまず、「お客様第一主義」ですね。自分たちのことは二の次で、お客様に身を捧げる。」

「儲けたい、成功したい、という気持ちはありませんでした。ただ人に喜んでもらいたかったんです。」

   (少年時代を振り返り)

「幼いながらも「誰にも頼らずに、一人で生きていかなければ」と思った」

「15歳まで誰からも見向きもされなかったんです。本当に孤独な15年間でした。」

「すごく孤独な人生でした。だから少しでも他人から関心を持ってもらいたかった。興味を持ってもらいたかったんです。それが私 の原点になっています。だから、商売を始めて、お金を儲けるというよりも、人に喜んでもらいたかったんです。少しでも自分がいて 良かったと言ってもらいたかった。」

   (宗次さんの座右の銘)

「感謝」です。特に経営者は感謝の気持ちを常に持ち続けることです。経営なんて自分一人では何もできません。お客様、取引先、そして社員の方たちに常に感謝の気持ちを持ち続ける。私の場合は、苦労した生い立ちがあるので、自然と人に対する感謝の気持ちを持ち続けることができました。

「私は現役時代、趣味も持たず、友人もつくりませんでした。飲み屋に行ったこともありません。仕事の邪魔になることは、何ひとつやりませんでした。年間5640時間(1日15時間半を365日)働くこともありました。そうやって率先垂範しないと、部下は働いてくれないと思ったからです。」



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先だってハウス食品がCOCO壱番屋の株を買い取り、宗次さんの売却益は220億円になると言われています。しかし宗次さんがそれで贅沢な生活をしないことは確かです。これまで通り、クラシック音楽の普及と演奏家の育成、スポーツ振興と助成、それにホームレスの救済に一層専念するはずです。

経営者であった時、宗次さんは早朝4時45分に岐阜県可児市の自宅を出て、出社後1000通以上の「お客様アンケート」に目を通し、それから店舗と向こう三軒両隣を掃除をすると言われていました。
経営を退いた今でも毎朝4時前に起きて6時には宗次ホール周辺を掃除、昼にはスタッフ15人分の食事を作るのだそうです。

一時期マスコミは経済的な成功者を勝ち組と呼び、貧困層を負け組と呼びました。しかし経済的成功者の多くが家庭的な不和や仕事上の悩みを抱えていて決して幸せとは言えません。
そんな中で、この人ほど幸せな人はいないのではないかと思えるのが宗次徳二さんです。

宗次さんは生まれ育った過酷な環境に見事に打ち勝ちました。
孤児院で育ち、ギャンブル好きの養父に引き取られ、これ以上ない貧しさの中でも決して魂を汚さず人間性を磨いてきました。
資産家となった今も自分のためではなく人のために生きています。
心からその成功を祝福したい人です。






何も持たない幸せを昔の日本人に見る

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世界一貧しい大統領として、ウルグアイのムヒカ大統領が話題になっています。
その一言一言に叡智が感じられますが、ムヒカさんの理想とする生き方を一番理解できるのは日本人であり、かつての日本人の生き方は、真の豊かさとは何か、幸せとは何かを示すものでした。

ムヒカさんの言葉
「私は聞いてみたい。
今日の若者は物がない昔の若者より幸せなのか。
今の日本はあまりにも西洋化してしまい、本来の歴史やルーツなどはどこかに行ってしまったのかと聞きたくなる」

「私はペリー提督が外国人を受け入れていなかった時代の日本を訪問した時のことが書かれた本をよく覚えているよ。当時の日本人は「西洋人は泥棒だ」と思っていた時代だね。あながち間違っていなかったけど。」

「日本人はとても賢いと思うよ。だって彼らは気づいていたんだ。
西洋の進んだ技術にはとても対抗できないから、彼らは勝てる技術を作ろうと頑張ったんだ。
そしてそれを成し遂げたんだ。しかし日本人の魂を失ってしまった。」

「昔の日本人はすごく強かったんじゃないかな。多くの障害を乗り越える強さを持っていた、それがあなたたちなんだよ。」

「江戸時代、金が無くても人は幸せだった。仕事は午前中で終わり、午後から人々は風呂に行き落語を楽しんだ。その中でつつましやかな生活をしていたのは武士だった。」

ムヒカさんは子供の頃、移民としてやってきた日本人から日本の素晴らしさを聞いたようです。
江戸は高度のリサイクル社会で物には魂があると信じ大切にしました。(古来日本人は古いものに宿る魂を付喪神[つくも神]と呼んでいました) 使い捨て文化から一番遠かったのが日本です。(以前の記事「日本の色」をご覧ください)

参照;日本の色

ものが無くても豊かに生きられることを示したのがかつての日本人であり、幕末から明治の始めにきた外国人は、一様に日本人の幸せそうな笑顔に驚いています。

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明治11年、イギリス人の女性旅行家イザベラ・バードは、東北、北海道を3カ月にわたって旅し、その時の体験を『日本奥地紀行』として出版しました。
最初一人旅を不安に思っていた彼女は、江戸時代が色濃く残る明治の初めの日本が女性の一人でも安全であることに気づきます。
「もうとっくに分かっていることですが、この国の旅の安全は確かなことです。
かつての不安でいっぱいだった自分がおろかに思えてなりません。
家々では裸の子供がはしゃいでおり、犬も子供達も大人も誰もが皆満ち足りた穏やかな表情をしているのです。」
「男達は仕事を終えて家路につき、食事をして煙草を吸って、子供たちの遊びを見守り、いつもの時が過ぎてゆきます。どんなに貧しくても、人々は暮らしを楽しんでいるのです。」

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あふれる笑みのそのわけは、西洋の常識では推し量ることのできないものでした。
彼女はこの旅で西洋の価値観にはない幸せに気づかされます。

幕末から明治にかけて、日本を訪れた外国人達は一様に驚きを語っています。
江戸時代の暮らしぶりを色濃く残こす日本人を見て、外国人たちはこう言いました。
「この民族は笑い上戸で心の底まで陽気である。」
「この日いづる国ほど安らぎに満ち、命を蘇らせてくれ、古風な優雅があふれ、和やかで美しい礼儀が守られている国はどこにも他にはありはしないのだ。」

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イザベラ・バードは旅をするにつれ、次第に日本人が根っこに持つ美徳に気付き始めます。
「昨日革紐を1本落としてしまいました。もう陽は暮れていましたが、馬子は1里引き返して見つけてきてくれました。お礼にチップを渡そうとするのですが、彼は受け取りません。
旅が終わるまで無事に届けるのが当然の責任だというのです。」
それまで貧しさだと感じていたものが、実は自分の物差しの貧しさとは違うものだと気付かされました。

山形県の米沢の平野を訪れた時、米沢の町が栄え、温泉町の赤湯が湯治客でにぎわう様子を見て、まるでエデンの園のようだと感じます。
「鋤で耕したというより、絵筆で書いたようです。
ほほ笑むような豊かな大地。ここは東洋のアルカディア(桃源郷)です。」

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秋田を訪れたバードはその礼儀正しさに驚きます。
「この国の均質さは大変興味深いことです。どんな階層であろうとも、社会が求める礼儀作法は基本的に同じです。秋田の人は田舎者ですが、東京の人と同じように、礼儀正しく丁寧です。」

かつての日本は、衣・食・住、どれをとってみても慎ましやかでした。
「農民はたいてい塩漬けにした魚と、消化に悪そうな野菜の漬物を食べています。
まるで食事の時間を短く済ませることが人生の目標の1つであるかのように、瞬く間にお腹の中に詰め込まれます。足るを知る・・・質素な暮らし。
私達が汚らしいと感じる貧乏とは、怠け者や酔っぱらいだったりするのですが、ここでは怠け者はもちろんのこと、酔っぱらいもいません。
ただただ農業に明け暮れ、安息日すらありません。
彼らは礼儀正しく親切で勤勉です。」

「フランス人は10着しか服を持たない」という本があります。原題は「私がマダム・シックから学んだこと」であって、10着しか服を持たないは題名に偽りありですが、著者ジェニファー・L・スコットは日本の寺院の内部の簡素さを見て、物を持たないことの美しさに驚いたといいます。

葛飾北斎は90年の生涯で90回以上引っ越しをしています。ひどい時には1日3回の引っ越しをしたと言われていますが、そんなことができたのも、何も持たず、風呂敷一つで引っ越しをしたからでしょう。無論北斎を貧しいと言う人はいません。

何が豊かで何が幸せか、昔の日本人はその答えを知っていました。







日曜喫茶室と東京大空襲

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はかま満緒さん

NHK・FMで毎月の最終日曜日、12時15分から放送されている「日曜喫茶室」という番組があります。
放送作家のはかま満緒さんが喫茶店のマスターとなり、様々なゲストの興味深い話や楽しい話を聞きだすもので、今年4月に40周年を迎える長寿番組です。

最近もはかま満緒さんの張りのある元気そうな声を聞いて、この分だとまだ10年位は大丈夫かなと思っていましたが、2月16日に心不全で突然この世を去られました。
亡くなる前日にNHKで「日曜喫茶室」の収録をされていたようで、こんな死に方ができる人は少ないなと感じました。

先だって林家三平さんを偲ぶ番組で、はかまさんが東京空襲の際、青山の表参道あたりでたくさんの死体を見たと言われたのと、大正生まれの林家三平さんのお笑いの台本を書かれていたのでかなりのお歳と思っていました。78歳だったのは意外でした。
往年の歌手や俳優が亡くなるたびに、思っていたより年をとっていなかったことに驚きますが、それは子供の頃、テレビで見る人がはるかに大人に見えたことと、自分が歳をとったためでしょう。

「日曜喫茶室」が今後どうなるかわかりませんが、3月27日はこれまでの放送の中から再放送をするそうです。是非お聴きください。

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時忘れじの塔

先の「昭和の爆笑王 林家三平を偲んで」という番組に、三平さんの奥さんである海老名香代子さんが出演されていました。香代子さんのお父さん、お母さんはともに昭和20年3月10日の東京大空襲で亡くなられています。
香代子さんは東京大空襲の犠牲者を悼む慰霊碑を上野恩賜公園内に建立し、東京大空襲を風化させない活動をされています.

一昨年の供養式を前にした朝、香代子さんが起きようとすると体が重く板のようになって身動きができなかったそうです。
その時、38歳で死んだお母さんの「かよこちゃん、かよこちゃん」という声が聞こえ、それに対し現在80歳を超えている香代子さんが、「かあちゃん、かあちゃん」と叫ぶと、お母さんは香代子さんに手を差し伸べて体を起こしてくれたそうです。

ベッドに起きあがった時にはお母さんの声は消えていましたが、家事と家業でガサガサだったお母さんの手の感触ははっきり残っていたと言います。涙でぐしゃぐしゃになりながら家族が待つ階下に行き今の話をすると、「親ってありがたいね」とみんなが泣いたそうです。

いつまで経ってもお母さんは子供の心配をし、見守り続けているのだなとあらためて教えられました。いつも自分を犠牲にして育ててくれた母に感謝するとともに、その百分の一も恩返しができなかった自分の親不幸を思います。


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東京大空襲

東京大空襲は過去の大火が春先の強風時期に集中しているというデータに基づき、3月10日未明に行われました。軍需施設ではなく市民が暮らす下町を選び、木と紙でできた日本家屋を焼き尽くすために特別な焼夷弾を開発しています。
わざわざ砂漠に日本家屋を建てて実験を行ったのです。

使用した焼夷弾は1平方メートルあたり3発(2000t)に及びました。
東京大空襲の責任者カーチス・ルメイ少将は、自分たちが行ったことが虐殺であることをよく認識していました。。

アメリカの国防長官であったマクナマラは、グアム島で司令官ルメイの指揮下で働いていました。
「マクナマラ回顧録」にこう書いてあります。
〈たった一晩で、われわれは10万人の民間人ー男、女、子供を殺した。戦争に勝つためなら、一晩に10万もの民間人を殺していいのか。戦争が終わってからルメイはぼくに言った。もし敗けていたら、おれたちは戦争犯罪人だね、と。その通りだと想う。〉


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砂漠での実験によりM69油脂焼夷弾を開発

死者10万人を超える東京大空襲は、原爆に匹敵する大虐殺です。そのことを恨みに思わない日本人の高潔な心は誇りに思います。しかし同時に原爆も東京大空襲もその責任は日本にあると教え込まされた自虐史観については知っておかなければなりません。

参考東京大空襲

日本の戦後に行われたこと



死は肉体からの卒業

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先だって、長年ともに学んできた知人がガンで息を引き取りました。
大きな喪失感があって、それが癒えるまでどれほどの時間が要るだろうかと思ったのですが、人の悲しみは時間によって薄皮をはがすように小さくなることを実感しました。記憶が薄らぐことは、悲しみを乗り越えるために神が与えた慈悲なのでしょう。

知人は喉のリンパのガンが再発し放射線と抗がん剤の治療を勧められましたが、それをせずに代替療法を行いました。結果的には一千万近く費やした代替療法は何の効果ももたらさず、むしろ喉をガンが圧迫して息ができない苦しみを味わうことになりました。

抗がん剤は副作用が大きくその割に効果が期待できないとする意見があります。また喉の放射線治療は痛みで水も飲めなくなるようです。そうしたことから代替医療に救いを求めるのですが、今回の知人の苦しみを見て、自分がガンになったら多分手術、放射線、抗がん剤の治療を選択するだろうと思いました。

もし代替医療で知人が助かっていたら、逆に現代医療を拒否して良かったと思うはずですから結果論かもしれません。しかし多大な治療費と苦しみを伴った知人の代替療法は、ガンと言う難敵を相手にするにはあまりにも無力すぎました。
今の後悔は知人が放射線と抗がん剤の治療を受けていればというものですが、しかしそれも運命なのでしょう。

人の本質は魂で肉体はその衣裳にすぎません。古くなった服は脱ぎ捨ててあの世に帰り、また別の衣裳をまとって新しい人生を歩みます。
しかし肉体を失うことはその人のすべてを失うように思われます。
火葬場で遺骨となった知人を見ながら、魂の輪廻転生を知っていても別離の悲しみは大きなものであることを感じていました。
縁生の魂は来世においてもいつか出会い、学びの旅を続けます。しかしその時は過去世での出会いを忘れています。
その前に死後天上界に帰った魂は、ふたたび縁生の仲間たちと出会います。その時にお互いの過去世での生き方について振り返り、来世での学びを誓うようです。

死は永遠ではなく、魂こそ永遠であることを知れば人の生き方は変わります。
現代人は魂を語ることを非科学的なことのように考えていますが、潜在意識の中に魂の本質が隠されていることにいづれ気づくはずです。





6歳児の書いたお別れの言葉ー続き 再掲

小さな人生論〈2〉「致知」の言葉小さな人生論〈2〉「致知」の言葉
(2005/10)
藤尾 秀昭



あの忌まわしい池田小学校の事件の折、先生たちがパニックになり右往左往していた時に、3人の子供が相談して110番しました。この子供たちは丹養塾幼稚園の卒園生でした。
残念ながら園長先生が亡くなられた後、丹養園幼稚園は運営されていません。

「お別れの言葉」で送られた園長先生は吉田良次先生といいます。
兵庫県伊丹の農家の後継ぎとして生まれました。師である安岡正篤氏に出会ったのが昭和24年、18歳の時でした。「自分の人生は一介の農民としてこのまま終わっていいのか」その煩悶が師の門を叩かせました。以来、吉田さんは農業に励む傍ら、安岡正篤氏の教えによって古典の偉人たちの考えを学びました。

吉田さんはその学びを後世に伝えるべく、自宅の納屋を改築し、「丹養塾幼稚園」という保育園を開設し、古典の徹底した素読教育を実践したのです。

 園児たちの1日は、朝30分の"勤行から始まります。本居宣長などの「和歌」や三輪執斎の「憤」など古典の名言を唱和させます。意味は教えず、吉田さんが朗誦し、その後を子供たちが唱和します。ただそれを繰り返すのですが、この繰り返しが驚くべき力を発揮したのです。

1年もしないうちに、どの子も古典の名言をすらすらと朗誦するようになったのです。それだけではありません。新しく入ってきた子は年上の子に倣って朗誦し、いつか漢字まじりの原文を読み、書き、意味を理解するようになっていきました。

重要なポイントを整理すると

1.素読の重要性
古典を原文のまま繰り返し素読することによって、原文の持つ格調やリズムを覚える。
ヨーロッパではシェークスピアや聖書の文言を暗誦させます。

2.丸暗記の重要性
素読によって暗記したことは成長過程でその意味を理解し、気づきや指針となる。

3.幼児期に本物を教える
子供の能力に限界はありません。バッハの音楽を聴いて育てばバッハが好きになり、名演奏を聴かせれば名演奏に感動できる感受性が育ちます。
よく引き合いに出すバイオリンの才能教育は、バイオリンを始めたばかりの子供たちに名演奏を聴かせます。古典の素読です。

昔の日本人の教えに間違いは無かったと、あらためて痛感させられます。





6歳児の書いたお別れの言葉ー丹養塾幼稚園

小さな人生論〈2〉「致知」の言葉小さな人生論〈2〉「致知」の言葉
(2005/10)
藤尾 秀昭

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 致知出版社刊行の藤尾秀昭著「小さな人生論2」のなかに、6歳の女の子が書いた幼稚園の園長先生に対するお別れの言葉が紹介されています。
とても6歳の子どもが書いた文章とは思えませんが、このような子どもを育てた園長先生の教育こそ、かつての日本人を育てた教育だったのでしょう。
日本を取り戻すとは、教育を取り戻すことであると改めて痛感します。

『お別れの言葉
園長先生、歩未の声が聞こえますか。2歳10ヶ月の時、丹養塾幼稚園に入園してから、漢字、算盤(そろばん)、諺、俳句、花園文庫、伝記、少年日本史朗誦選集など、園長先生には沢山の事を教えて頂きました。

毎日一生懸命勉強して南宋の文天(ぶんてん)祥(しょう)の正氣(せいきの)歌(うた)を暗誦できるようになった時も、算盤の大会でトロフィーを貰って来た時も、園長先生はとても喜んで褒めて下さいました。

それから園長先生は色々なところに連れて行って下さいました。北海道巡歴研修でクラーク博士の像の前で「青年と大志」を朗読した事、青森文字色駅のデパートの軒先で野宿をした事、北陸巡歴研修で、永平寺で座禅をした事、橋本左内の銅像の前で啓発録(けいはつろく)を読んだ事、沢山の楽しい思い出があります。

他にも、親子教室甲山の遠足、運動会、お餅つき、立志集、卒園式、小音楽会、桃太郎の劇など園長先生に教えて頂いた素晴らしい思い出が沢山出来ました。

これから園長先生は天国へ行って、私達の事を見守っていてください。

私達は、園長先生に教えて頂いた事をいつまでも忘れず深くさぐって強く引き出す人になります。天から受けたものを天にむくいる人になります。そして、この世に役立つ人になります。園長先生、ありがとうございました。 
平成15年11月23日 園児代表 吉田歩未』



私達は、園長先生に教えて頂いた事をいつまでも忘れず、深くさぐって強く引き出す人になります。天から受けたものを天にむくいる人になります。そして、この世に役立つ人になります。園長先生、ありがとうございました。

こんな表現が6歳児にできるのです。園長先生の教育のすばらしさに心を打たれます。
親や先生が引き出せば、子どもの能力には限りがないのです。

バイオリンの才能教育研究会の創始者 鈴木鎮一先生が、「どの子も育つ、育て方しだい」と言い続けられたことを思い出します。


追記:
橋本左内が啓発録を書いたのは14歳の時でした。人に見せる為ではなく、自分を戒め、向上さすための自戒録として書かれています。昔、12歳から15歳位の間に元服式を行い、大人として自立する覚悟を決めましたが、20歳の成人式が何の意味も持たない現在と比べて、かっての日本人の素晴らしさを痛感する文章です。

つづく
愛に生きる―才能は生まれつきではない (講談社現代新書 86)愛に生きる―才能は生まれつきではない (講談社現代新書 86)
(1966/08)
鈴木 鎮一

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童謡・唱歌は日本の宝 

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ブログを初めて8年経つと、過去にどんな記事を書いたのか忘れてしまいます。久しぶりに過去記事を見ると、結構面白い記事や参考になる記事があって、もう一度ご紹介しても良いのではないかと考えました。しばらく過去記事を再掲させていただきます。


「ふるさと」や「かあさんの歌」、「浜辺の歌」など、日本には誰でも懐かしさを呼び起こされる唱歌や童謡が沢山あります。これらの曲は主に明治の唱歌運動、大正の童謡運動などで作られたものですが、かっての日本人が子供の情操教育をいかに大事に考えていたかを物語るものです。

以前NHKFMで童謡唱歌の特集があり、懐かしい曲と貴重な解説をおもしろく聞きました。

「ずいずいずっころばし」の歌詞は何のことか、まったく意味が分かりませんでした。これは徳川三代将軍家光の頃に始まり240年続いた「茶壷道中」の様子を表したものだと言います。京都の宇治で摘まれた一年分の新茶を茶壷に詰めて、中仙道から江戸まで献上行列をしていました。

この行列はぎょうぎょうしく、行列が来ると戸をピシャンと閉めて家に逃げ込む様子を、「~茶壷に追われて戸っぴんしゃん」、行列が通り過ぎるとホットして外に出て喜ぶ様子を 「~抜けたらドンドコショ」、行列が通りすぎるまでは、たとえ親が呼んでも家から出てはいけ ことを、 「~おっとさんが呼んでもおっかさんが呼んでもいきっこな~しよ 」と歌っていると言います。
なるほどね。

野口雨情の「七つの子」の、~かわいい七つの子がいるからよ~は、7歳の子と7羽の子供の二つに解釈できます。しかし7歳のカラスは子供ではなく、またカラスは7つも卵を産みません。これは、昔7歳で「帯びとき式」をして、子供が一人立ちする祝いをしましたが、この7歳の子のかわいい様子と掛けたものだそうです。

その時を代表する作詞、作曲の才能が集まり、子供たちのために作品を作り上げています。これほど質の高い童謡、唱歌は世界に無く、日本の財産だと言えます。

「村祭り」と言う童謡は、市町村合併で村が消えた県では教科書から消えたとのことです。「村の鍛冶屋」も鍛冶屋が無くなったので教科書から消えています。
文化は民族のアイデンティティーです。
私達はこの財産をいつまでも大事に守り続けなければならないと思います。





ネコに襲われた鳩のこと

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先だっての夕刻、家を出たところに鳩がうずくまっていた。どうしたのかと思って周りを見ると黒猫がじっと様子を見ていた。このネコにやられたのだ。
辺りには抜け落ちた羽がたくさん散らばっていて、怪我の大きさを物語っていた。
おもわず鳩を抱き上げて家に連れて帰り、バスケットに入れて風呂場に置いた。
皮肉なことに家には2匹のネコがいるからだ。

抜け落ちた羽の多さにかかわらず、出血が見えなかったのが救いだったが、多分明日の朝まで持たないだろうなと思われた。
死んだ鳩の始末をどうしようか、生ごみで捨てるのもかわいそうだが他にどうしたらよいか思い浮かばなかった。
多分だめだろうと思いながら、水とパンのかけらをバスケットに入れておいた。

翌朝バスケットをのぞいたら、鳩はまだ生きていた。パンくずは食べた形跡がなく、水もそのままあったが生きていたことにホッとした。
万が一と考え、ベランダに出してバスケットの蓋を開けておいた。
30分くらい経ってのぞいてみたが、鳩はまだバスケットの中にいた。やはり無理なのだろうか。
しばらく経ったとき、鳩がいないという家内の声が聞こえた。
あわてて見に行くとバスケットは空だった。やった!と思いながらベランダの外をのぞくと鳩がたどたどしく歩いていた。
しばらくして様子を見ると鳩の姿はなかった。
やった!助かった!!

子どもの頃、すずめのヒナを屋根から取ってきて何度か育てたが、育ったのは1羽だけだった。
つり竿を振りまわしてコウモリを落としたことがあった。こうもりの体には血がにじんでいた。
どうしたらよいかわからず、かごに入れて育てようとしたがすぐ死んでしまった。
子どもの頃は自分の好奇心の残酷さを知らなかった。
1羽の鳩を助けたが、自分の好奇心で命を落とした生き物の方がはるかに多いことを思った。






不老不死の不幸「アデライン、100年目の恋」を観る

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観るつもりだった映画が満席で、同時間帯に上映していた映画「アデライン、100年目の恋」を観た。事故によりいつまでも変わらない若さと美しさを宿命付けられた女性の不幸がテーマだが、明るいラブ・ファンタジーで十分楽しめた。何よりアデライン役のブレイク・ライヴリーの笑顔が魅力的だった。

主人公アデラインは雪で車がリップして川に転落する。低体温症で心臓が止まった瞬間、車に雷が落ちて再び心臓が動き始める。落雷による電磁圧縮作用で老化が止まったアデラインは、100歳になっても外見は29歳の美しいままでいる。

彼女は怪しまれないように10年ごとに名前も住所も変えて生きている。親しい友人もなく心の支えは愛犬と一人娘だけだ。しかし愛犬たちを次々と見送り、娘もすっかり老いてしまったアデラインを待っているのは孤独だった。

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そんな彼女の前に青年エリスが現れ愛の告白をする。エリスは大学時代の起業で手にした資産で社会貢献をしており、その人間性に感銘を受ける。しかし自分の秘密を知られたくないアデラインはエリスの前から消えようと葛藤する。
やがてエリスの愛を受け入れたアデラインはエリスの実家を訪れる。エリスの父親ウィリアム(ハリソン・フォード)は彼女を見るなり驚愕して「アデライン」と呼びかける。彼はかつてアデラインが心から惹かれながらも、自分の秘密を守るために身を隠した昔の恋人だった。
「100年目の恋」というタイトルは内容とあまり関係なく、ハリソン・フォードは主役ではない。


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  テロメア

アデラインが歳を取らなくなった理由は、落雷によって細胞の末端にあって老化と寿命を司るテロメアが働くなったためと言う設定になっているが、老化はテロメアだけで決まるものではなく、また車に落雷した場合は車体の表面に電気が流れるので車内は安全である。
だが、この映画はラブ・ファンタジーであってそんなことはどうでも良い。この映画はアデライン(ブレイク・ライヴリー)の美しいほほ笑みを見るためにあると言って良い。

永遠に若く美しくあることが不幸であるというこの映画の発想は、テロメアの発見によるものだろう。
細胞がいつまでも分裂を繰り返すのであれば、人の寿命は何百歳でも可能だ。細胞分裂の回数を制限するテロメアという存在は、種の保存という観点からは邪魔な存在であり、これは多分創造主の叡智によるものだろう。

様々な肉体と生存環境で魂の修行をするためには、一つの肉体に長く留まるべきではない、創造主はそう考えたのだろう。
もし厳しい環境で人生修行することを選んだ魂にとっては、死は救いとなるはずであり、一方、逆に安楽な環境でどれだけ長く生きたとしても魂の修行にはならない。

ソフォクレスのギリシャ悲劇「コロノスのオイディプス」の中に次のような記述があった。

この世で一番良いことは、この世に生まれないことだ。
二番目に良いことは、 生まれたからにはなるべく早く生まれて来たところ(あの世)に帰ることだ。

日本でも欣求浄土厭離穢土(ごんぐじょうど おんりえどー穢れたこの世を去り、早く極楽に行きたい)という末法思想があった。長い間、人々にとって生きることは苦しいことであり、救いはあの世にあった。

多くの人の衣食住が安定し、生活を楽しむことができるようになったのはほんの近年に過ぎない。しかしそれが今や深刻な高齢化社会に直面している。
もしテロメアと言う寿命を制限するストッパーがなければ、世界はさらに深刻な高齢化問題に直面しているはずだ。

人間にとって死は救いであって、永遠に生きることほどの恐怖は無い。
天国は死後にあるのだから。

「散りぬべき 時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ」  細川ガラシャ




野良猫にエサをやってはいけないのか

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公園などで「ネコにエサをやらないでください」と書かれたプレートを目にします。
こんな表示があると、野良ネコにエサを与えることが悪いことのように思われますが、本当に悪いことなのでしょうか。

野良ネコにエサを与えることが悪いとすれば、いくつかの理由が考えられます。
・エサを与えるとネコが増える。
・ネコがいつく。
・糞尿が臭い。

しかしエサを与えると野良ネコが増えるのかと言えばそうではなく、エサを与えなくても繁殖期がくれば子猫が生まれます。
糞尿の臭いはエサを与えても与えなくても同じですが、実際に公園でネコの糞尿が臭いと感じることはあまりありません。
また、犬は散歩中に頻繁にマーキングしますが、なぜ犬の尿が許され猫の尿が許されないのでしょうか。
ネコがいつくことは間違いないでしょうが、ネコがいついて困るのはネコ嫌いです。ネコ好きは困りません。

「ネコにエサをやらないでください」と書かれたプレートをなぜ表示しているのかを確かめるため、市の担当職員に電話してみました。
最初に出た職員は私の質問に絶句し他の職員に替わったのですが、替わった職員も答えることができませんでした。
結局、「ネコにエサをやらないでください」と言うのはさして理由のある話ではなく、もしかしたらネコ嫌いな人間からの抗議によって始まったことではないかと思われます。
どうもネコは不当に冷遇されているような気がします。


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 動物愛護センターで里親を待つ猫

「野良ネコにエサをやらないで」ではなく、むしろ子供たちから与えさすことによって、弱いものを守る優しさや命の大切さ、あるいは種の違いを超えた愛の交流を学ぶことができるのではないかと思います。
最近野良猫の手足を切断したり、残酷な殺し方をする犯罪がよく報じられます。このことと「野良ネコにエサをやらないでください」という表示は無関係ではないかも知れません。
なぜかと言えば、そのような犯罪を犯す人間は、野良猫にエサをやることが悪いのは野良猫の存在自体が悪いことであり、従って野良ネコを殺すことに罪の意識を感じる必要がないと考えているのかも知れません。

戦後の日本は少数の否定的な意見が声高に語られることが多く見受けられます。
役所などは繰り返し苦情を言い立てられれば、それが少数の意見でも面倒なのでその意見に従ってしまうことがあります。
学校を悩ますモンスターペアレントや悪質なクレイマーもその本質は一緒です。
相手が弱い立場であれば、居丈高に要求を押し付けます。

和を重んじる多くの日本人はあまり自己主張をしないため、サイレント・マジョリティとして存在します。一方、ノイジー・マイノリティは言い分が通るまでうるさく要求するため、少数の意見が社会を動かす危険性があります。
戦後の日本社会をいびつで不健全にした理由の一つが、このような理不尽な要求です。

「ネコにエサをやらないでください」という表示の裏に、日本の戦後病理が潜んでいると思うのは勘ぐりかも知れませんが、当たり前のこととして受け入れていることも、もしかしたら間違っていたり根拠の無いことなのかも知れません。

  猫の子のちょいと押へるおち葉哉  一茶

犬猫しあわせ検定 


老いと青春

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初めて若さを輝かしいものに感じたのは、父親を老人ホームに訪ねた時でした。
献身的にお年寄りを介護する若者たちを見た時、若さとはなんと魅力的なことなのかと目を瞠りました。

それまで会社でいくら若い社員たちを見ても、若さというものにさほど魅力を感じず、むしろ若さゆえの未熟さや危うさを感じさせられていました。当時、自分の中のエネルギーや気力が若者たちに負けていないという自負があったからでしょうが、若さを輝かしく見るという思いはほとんどありませんでした。

しかし老人ホームの中でお年寄りの介護をする若者たちは、老人の枯れて朽ちて行く肉体と、未来のない人生の対極に位置していました。そこには若さの持つ力と輝きがありました。

現在ほど老人の存在が問われている時代はありません。
年金や健康保険、あるいは認知症の問題など、長生きが国の大きな問題となっています。
つい最近、100歳以上の老人が6万人を超えたと発表されましたが、1970年は100歳以上の老人は310人に過ぎませんでした。

「キンは100歳、ギンも100歳」という金さん銀さんのCMがありましたが、100歳が珍しくない今の時代であれば生まれることのなかったCMです。
還暦、古希、米寿、喜寿など、長寿を祝う言葉は、人生が50年以下の時代に生まれた言葉であり、現在はむしろ老害について語られなければならない時代となっています。

自然に死ぬということ

サミュエル・ウルマンの「青春」という詩があります。
この詩を初めて見た時は、「青春」が心のありようであることを言うのに、なぜこのように大げさに語られなければならないのかと辟易しました。

久しぶりにあらためて読んで見ても、やはり大げさな表現に鼻白む思いがしますが、しかしそれはウルマンのせいではありません。原文は平易に青春が心のあり方であることを語っており、訳者の美文調の名訳が私には合わなかっただけです。

しかしこの詩が語っていることはその通りのことです。
人間は魂の修行のためにこの世に生まれてきます。肉体が老化して思考力が失われ、生きていることが魂の向上につながらなくなった時、魂は肉体から離れ死を迎えます。

長生きが単純に良いことであるという認識の中で、病院の延命治療が行われています。しかし老人の延命は、場合によっては好ましくないということを社会の共通認識にしなければならないでしょう。そのことは多くの人がわかっていながら、倫理に反することのように言い出せないでいます。

心にこそすべての価値が存在します。老人問題はこの視点を無視して語ることは出来ません。


  サムエル・ウルマン「青春」
                   佐山宗久 訳 

青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を云う。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、
たくましい意志、ゆたかな想像力、燃える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは臆病さを退ける勇気、
安きにつく気持を振り捨てる冒険心を意味する。
ときには20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない
理想を失うとき初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情は失えば心はしぼむ。
苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥にある。

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、
驚異に惹かれる心、おさなごのような未知への探求心、
人生への興味の歓喜がある。
君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美・希望・喜び・勇気・力の
霊感をうける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪に覆われ
悲嘆の氷に閉ざされるとき、
20歳であろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、
80歳であろうと人は青春にして已む。

________________________________________

「YOUTH」
Youth is not a time of life-it is a state of mind; it is a temper of the will,a quality of imagination, a vigor of the emotions, a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over love ease.

No body grows only by merely living a number of years; peoples grow old only by deserting their ideals. Years wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, doubt ,self-distrust, fear and despair-these are the long ,long years that bow the head and turn the growing spirit back to dust.

Whether seventy or sixteen, there is in every being's heart the love of wonder, the sweet amazement at the stars and the starlike things and thoughts, the undoubted challenge of events, the unfailling childlike appetite for what next, and the joy and the game of life.
you are yang as your faith, as old as doubt ;
as young as your self-confidence, as old as your fear;
as young as your hope, as old as your despair.

So long as your heart receives messages of beauty, cheer, courage, grandeur and power from the earth, from man and from the Infinite so long as your young.

When the wires are all down and all the central place of your heart is covered with the snows of pessimism and the ice of cynicism, then you are grown old indeed and may God have mercy on your soul
.




不幸は突然やってくるのだろうか

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病気や事故など、人の不幸がいつも突然やってくるのはなぜでしょうか。
二人の知人が癌に冒され、一人がこの世を去ったことでそのことを思いました。

一人は以前の記事「心に従って生きる」で紹介したことのある人物で、健康そのものの人でした。北辰一刀流の免許皆伝で少林寺拳法の有段者、スキーの腕前はプロ級でスイスの山岳救助隊員の資格を持っていました。
タバコも止めて健康には何の不安もないように見えたのでしたが、膵臓ガンが発見された時には手遅れで、ついに回復することはありませんでした。

もう一人の知人も癌が発見されるまでまったくの健康でした。舌に違和感を覚え、検査の結果ステージ2の舌癌でリンパにも転移していました。

舌癌の宣告を受けた本人のショックは想像に余りありますが、この人は舌癌を前向きに受け止めることができました。
自分が舌癌になったのは、不平不満、悪口、人の批判など、マイナスの言葉ばかりを発していたためであって、舌を癌にしてしまい申し訳なかった、そのことに気づかせてくれた舌癌に感謝すると語っていました。

その言葉が嘘ではなかったのは、舌癌患者は手術前、眠れなくて睡眠剤を必要とする人が多いらしく、医者や看護士が睡眠剤を勧めたのですが、この人は一度も睡眠剤に頼ることがく、手術の日まで淡々とした表情を崩すことがありませんでした。
その冷静さに医師たちが感心していました。

舌癌手術で舌を切った後は、多くの人が絶望を感じるようですが、術後もこの人は動揺を示すことはありませんでした。
手術後、麻酔が切れてからも全く痛みを感じず、驚くほど早く回復したことに、数百例を執刀した医師が驚いていましたが、そのことと癌に感謝すると言った言葉と無関係ではなかったはずです。
もし胃癌や大腸癌であったら、自分の生き方の過ちに気づくことはなかったかもしれません。舌癌に感謝するという言葉はそのことを意味していたのでしょう。

幸福は突然やってきません。
勉強しないで難関大学に受かることはないし、なまけものの社員が業績をあげて出世することはありません。スポーツで結果を出すには厳しい練習が必要です。
三次元の成功や幸福はその努力の結果であり、善因には善果が、悪因には悪果がもたらされます。

では不幸は突然やって来るのでしょうか。
病気という結果は、生活習慣や体質の問題点が一定期間を経て表に現れるもので、偶然ではありません。

交通事故は偶然でしょうか。
以前、「人の運命について」でポアソン分布のことを書きました。ある交差点で事故が起きる確立は、確率論のポアソン分布で表すことができます。
統計的に予測された時に予測された場所で事故が起きた時、事故を起こした人間は偶然に決まるのでしょうか。
その場所で事故を起こす可能性は、その場所を通る頻度が高い人間ほど高く、またスピードを出す人間や、注意力の衰えた高齢者の確率が高いでしょう。事故を起こしやすい車種もあります。そのようなことを総合すると、事故は偶然というより高い確率で決まっているように思います。
病気や事故は、様々な要因が積み重なり、それが閾値に達した時に現象化するのではないでしょうか。水が零度になった時、相転移して氷になるのと同様です。

幸福も不幸もすべて必然の結果であり、人が突然不幸になるように見えるのは、不幸の原因が現象化する道筋が見えないからにすぎません。
舌癌によって目覚めることが出来た知人のように、人は幸福からではなく不幸や失敗によってしか学べません。
しかし出来れば何事も無い日常の中で、どう生きるべきかを学び、自分を少しずつ変えていきたいものです。




理解されない男の優しさ

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履いていたサンダルを、裸足のストレートチルドレンの少女にプレゼントするリオデジャネイロの観光客


先だって我が家のネコに似た野良猫を、カサの先でいたずらしている子どもがいたので思わずたしなめたのだったが、少しバツの悪そうな顔をしたあどけない顔に悪気はなかった。

子どもは無邪気でありながら残酷なものだ。
思い出してみれば自分もずいぶん残酷なことをした。トンボのシッポを切って枝を差して飛ばしたり、カエルに2B弾という火薬を咥えさせ火を着けたりもした。今ならとてもそんな残酷なことはできない。

子供が残酷なのは善悪の判断ができないことや、他の命の痛みを感じる想像力が無いこと、また好奇心が旺盛なせいだろう。
人は成長するにつれ子どもの残酷さから脱却する。それは自分を客観視することができるようになるからであり、人の痛みや悲しみを自分の痛み、悲しみとする想像力を得るからだ。
自分がされたくないことは人にしてはいけないということに気づくことが社会生活の第一歩となる。

ところで男と女のどちらが残酷だろうか。一般的には男のほうが平気で残酷なことをするように思えるし、事実残酷な事件は男によって行われることが多い。
しかし夫婦の間においては女の方が残酷なことがよくある。
女房と口げんかして勝てる亭主はいない。なぜなら、男はこれ以上言ってはいけないことは言わないのに、女はそれを平気で言う。
それに対する反論は言ってはいけないことに属するので男は沈黙するしかない。女はその優しさに気づくことなく勝利宣言する。
自分がされたくないことは人にしてはいけないという黄金律を、女は亭主に対して適用しない。

藤原正彦さんの著書「この国のけじめ」で、内館牧子さんの「女は三角、男は四角」が紹介されていた。


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・・・・【たとえば結婚以来二十数年、私に会った女房の友達のほとんどが、「優しそうな人ね」と後日女房に伝えた。私は「そうか、やっぱり隠しきれなかったんだ、ボク」などと喜んでいた。ところが、内館さんの「女は三角、男は四角」という数学的な題の本にはこう書いてある。「女たちには取っておきの言葉がある。この言葉は脚が短かろうが、頭が悪そうであろうが、ファッションセンスがハチャメチャであろうが、まったく問題ない。どんな男にもピタリとハマるほめ言葉があるのだ。『「優しそうな人ね』これである。」

さらに追い打ちをかけてこう書く。「もしも、これを読んでいる男性読者が、妻か恋人から、『友達があなたのこと、優しそうな人ねって言ってたわ』と伝えられたら、それは『ほめようのない男』ということに等しい。」 ウルサーイッ。】

そうだ! ウルサーイッ。




日本人の価値観とオオキンケイギク

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5月に日本のあちこちで花を咲かせるオオキンケイギク(大金鶏菊)は、本当に美しい花です。鮮やかな黄色の群生を見るたびに、もっと増えて日本中でその美しい花を咲かせてほしいと思っていました。

ところが最近、折角咲いたオオキンケイギクがあちこちで抜かれています。なぜそんなことをするのかといぶかしく思っていたところ、オオキンケイギクを抜く運動が各地で行われていることがニュースで報じられていました

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なんとオオキンケイギクは特定外来種に指定されていたのです。
特定外来種といえば、ブラックバスやセアカゴケグモなどが思い浮かびます。これらの生物が有害なのは自明のことで、特定外来種に指定されていても誰も文句を言いません。

しかしオオキンケイギクはなぜ有害なのでしょうか。調べてみるとカワラナデシコ、カワラヨモギなど、一部の在来植物がオオキンケイギクの日陰になって生育を阻害されるからのようです。

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 カワラナデシコ                      カワラヨモギ


生物学者にとってそれは許されないことでしょうが、花の美しさで多くの人を楽しませているオオキンケイギクの全存在が、それだけの理由で否定されるべきでしょうか。
あまりにも理不尽な気がします。

古来、日本人の価値観の中心には美がありました。万葉集で天皇や貴族の歌と詠み人知らずの歌が同列に扱われたのも、地位や財産よりも美がすべての価値に優先すると考えたからでしょう。

おいしいことを美味と書き、しつけを躾と書き表します。「心がきれいな人」、「心が美しい人」と言いますが、「心が正しい人」とは言いません。正義という相対的なものよりも、美こそ疑う余地の無い価値であると考える日本人の心性の現れです。

オオキンケイギクを特定外来種に指定した専門家たちの価値観の中では、美は重要な位置を占めていなかったのかもしれません。
在来種を保護することは当然のことですが、オオキンケイギクに癒される多くの人が存在することを思えば、その全存在を否定する特定外来種の指定にはためらいがなければならないはずです。

敬愛するコラムニストの山本夏彦さんは、「美しければすべてよし」という本を書き、色紙にもこの言葉を書いていました。
ご存命ならきっとオオキンケイギクの駆除に反対されたのではないかと思います。

オオキンケイギクを抜かないでほしい。
今からでも特定外来種の指定を解除してほしいと切に願います。






天才の栄光と挫折

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  さくら花 おそしと待ちし世の人を 驚かすまで咲きし今日かな  樋口一葉


渋谷区が同性カップルをパートナーとして公的に認めることになった。世田谷区も検討しており、この流れは加速するだろう。
その事が良いことなのかどうかわからないが、天才数学者アラン・チューリングが今の時代に生きていれば、不幸な人生の終末を迎えることはなかった。

「イミテーションゲーム」という映画が上映されている。
第二次世界大戦中、ドイツ軍が作った世界最強の暗号「エニグマ」を、天才数学者アラン・チューリングが解読する話だ。


天才の栄光と挫折―数学者列伝 (文春文庫)天才の栄光と挫折―数学者列伝 (文春文庫)
(2008/09/03)
藤原 正彦

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「イミテーションゲーム」を観たのは、アラン・チューリングに対する興味からだった。
天才数学者アラン・チューリングのことを初めて知ったのは、藤原正彦さんの「天才の栄光と挫折」という本によってであった。
暗号解読と言うトップシークレットについて、明らかな史実はほとんどわからないはずだから、映画の内容は想像によって作られたものだろう。しかしシナリオは良くできており、映画としても十分楽しめた。

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第2次大戦中、イギリスは食料や軍需物資の半分をアメリカから輸入していたが、ドイツ軍の潜水艦Uボートによって、毎月30万トン以上の船が撃沈されていた。
しかし暗号が解読された7月は12万トン、11月には6万トンに減少し、ドイツはUボート作戦を1年9カ月間中止している。

その後暗号をさらに複雑化したドイツ海軍は、1942年8月にふたたび大西洋でのUボート作戦を再開し、9月には48万トン、10月には62万トンの輸送船が撃沈され、イギリス所有の商船が無くなるほどだった。一方、撃沈されるUボートは月に数隻にとどまっていた。

この新暗号は解読に困難を極めたが、1942年の暮れに解読され、被害が急減するとともに、1943年1月から5月までに100隻近くのUボートが撃沈され、5月下旬にはUボート作戦は中止された。


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 エニグマ

もし「エニグマ」が解読されていなければ、イギリスはドイツに降伏し、第二次大戦の終結は2年遅れただろうと言われている。
そうなれば、アメリカと日本の戦いも大きく変わっていたはずだ。「エニグマ」の解読はそれほど大きな出来事であったのに、1970年頃までその事は秘せられていた。
イギリスはドイツから没収した数千台のエニグマ機を、信頼できるものとして旧植民地に使わせ、それを盗聴していたので解読の事実を伏せていたためだ。

イギリスを救い、世界の歴史に少なからぬ影響を与えた天才数学者アラン・チューリングは、戦後数学の研究に戻ることはできず、最後は不幸な結末を迎えることとなった。


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 アラン・チューリング

1952年、彼は街かどで知り合った若い男性と一夜を過ごした。その後、自宅に空き巣が入り、アラン・チューリングは容疑者として若い男の名を告げたが、一夜を過ごしたことまで話してしまった。

当時ホモセクシュアルは違法であり、彼は逮捕され有罪の判決を受けた。留置場に入るか女性ホルモン注射で性的機能を失うかの選択に対し、彼はホルモン注射を選んだ。
1954年6月、彼は青酸カリで自殺した。

2013年、アラン・チューリングに対しエリザベス女王による死後恩赦が公式に認められた。

The Independentの記事

キャメロン首相は次のような声明を出している。
「アラン・チューリングは傑出した人物であり、ドイツのエニグマ暗号を解読したことで、第二次世界大戦においてこの国を救うため重要な役目を果たしました。
チューリングの貢献は無数の人々の命を救いました。かれはまた、現代的コンピューティングの父とも称される多大な科学的業績を通じて、この国に大きな遺産を残しました。」

英国を救うとともに、機械による計算を可能にする人工知能理論を提示し、コンピューターの先駆けとなるチューリングマシンを開発した天才数学者アラン・チューリングの人生は、同性愛によって悲劇的な幕を閉じた。

生命保存という最も重要な自然法則に反していながら、キリスト教の倫理が入るまで同性愛は大した問題ではなかった。
古代ギリシャでは同性愛は普通のことだったし、日本でも戦国時代は男色が普通で、織田信長の近習森蘭丸はホタル侍と言われていた。
もしかしたら、渋谷区の決定も大した問題ではないのかも知れない。

人間は生まれる環境を自分で選んで生まれてくるはずであり、そうだとしたら性同一障害の肉体を選んで生まれて来ることにも意味があるのかも知れない。
しかしそのことを通して一体何を学ぶのだろうか。




命は愛

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横手 かまくら祭り


すべての人間は、どなり声よりやさしい言葉が好きです。怒られ、ののしられるより、励まし慰められることを喜びます。
憎しみの言葉には耳をふさぎ、愛の言葉には耳を傾けます。
なぜかと言えば、命の本質は愛であり、命は愛を求めるからです。

それは人間だけでなく、動物も植物もそうです。猫や犬も可愛がってくれる人になつき、どなる人を避けます。頑張れと声を掛けられた植物はよく育ち、嫌いと言われた植物は育ちません。

昔の日本人は言葉の持つ霊力を良く知っていて、それを言霊と名付けました。
やまと言葉には耳障りな言葉がなく、やさしい言葉、美しい言葉に満ちています。それは日本人の心の優しさを表すと同時に、その鋭敏な感性が忌み言葉の持つ悪しき力を知っていたためだと思います。

『万葉集』で柿本人麻呂は次のように歌っています。
磯城島(しきしま)の 大倭(やまと)の国は 言霊の助くる国ぞ まさきくあれ
(日本という国は、言霊が助けてくれる国である。幸多かれと願う)

ところで免疫の仕組みは、神業と言うしかないほど奇跡的な巧妙さで作られています。
生体に免疫システムがあることは、命が神の愛によって作られ、命の本質が愛であることの証明であると思っています。

怒りや恨みや愚痴は免疫力を下げ、感謝や喜びや笑いは免疫力を上げます。
神の心に叶う愛の心や言葉によって免疫力が上がり、神の心を否定する怒りや恨みによって免疫力が下がることも、命の本質が愛であることの証明ではないでしょうか。
命の本質はすべての生命に共通です。それは神の愛です。





日本人の敵

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日本に住んでいる外国人の知人が、なぜ日本のテレビにはあんなにオカマが出るのかと不思議がっていました。
いまの日本のテレビは異常というしかありません。

異常さは様々な場面に現れていますが、特に感じるのが平気でマネをすることです。
同じような番組、同じようなタレント、同じようなコメンテーター、節操の無い模倣に驚きます。
オカマの多さも模倣の現れです。

独自性を競う産業界や文化芸術の世界からは考えられないことですが、先般、海外でのスポーツイベントで、競技終了後に日本人記者たちが集まって、取材内容のすり合わせをしているとあきれられていました。テレビだけでなくマスコミ全体に模倣体質が蔓延しているようです。

小さなことですが、最近字幕で、「て」を「T」のように書くのがはやっています。このみっともない書き方は「志村動物園」で始めたもので、いやな字体だと思っていたのが、あろうことかマネする番組が増えてきたのです。

最近流行の「安心・安全」という言い方も違和感があります。安全であれば安心だし、安心なら当然安全なはずです。どちらかを言えば足りるのに、こういう重複した言い方がはやるのも模倣体質の結果です。

最近、「寄り添う」と言う言葉がマスコミに多用されています。本来はうつくしい言葉なのに、「被災地に寄り添う」、「弱者に寄り添う」などと使われると、せっかくの行為が薄っぺらなものに感じられます。
モンドセレクション金賞受賞みたいに、多ければ言葉の価値はなくなります。

料理番組の「味を調える」という言い方も、最近うんざりする言葉です。調味料で味をつけた後、最後に「味を調える」はずですが、最近は味をつける前に、いきなり「味を調えます」などと言います。日本語を大事にする気持ちがテレビ界から失われているのでしょう。

レポーターが取材先に小走りに入って行くのも軽薄なはやりです。取材内容を伝えるのがレポーターの役割であり、現場に走って入ろうが、後ろ向きに入ろうが、ほふく前進で入ろうが、そんなことは関係ないことです。


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セウォル号事件やナッツリターンに見られるように、韓国のマスコミは人民裁判の場となっています。日本のマスコミはそのことを、愚かな韓国マスコミという目線で報道しますが、しかしSTAP細胞などの報道を見ると、本質的にやっていることは同じです。自分が正義になり、相手が立ち上がれなくなるまで叩きます。日本人の美点であった、惻隠の情、思いやりの心はマスコミにはありません。

良質な番組は数えるほどで、「ガイアの夜明け」「未来世紀ジパング」「和風総本家」など、テレビ東京ががんばっているのが目立ちます。反日左翼的なNHKも、さすがに芸術番組やNHK特集などでは他の追随を許さない番組作りをしていますが、それにしても視聴料が高すぎます。

テレビ業界が模倣の氾濫となったのは、他の番組のマネをしていれば危険が少ないと考える下請け会社によって作られるためではないかと思います。そうでなければ、よほど無能な人間やプライドの無い人間がテレビ業界に集まっていることになります。

昔、評論家の大宅壮一がテレビを称して、「一億総白痴化」と断じましたが、先見の明に脱帽するばかりです。

新聞を読まず、本を読まず、ネットをしない人間にとって、テレビで放送されることがすべてであり、そこでコメントされることが正義です。
見たくなければ見なければ良いのですが、放置することは消極的な肯定となります。
おかしいと思う事は積極的に抗議をするため、下記の抗議先を携帯に登録しています。

○NHK
 ・ 0570-066-066(NHKふれあいセンター・ナビダイヤル)
   受付時間:午前9時から午後10時  
 ・メール  http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.html    
○日本テレビ
 ・ 03-6215-4444
   受付時間: 午前8時30分から午後10時30分(年末年始を除く)
 ・メール  http://www.ntv.co.jp/staff/goiken/form.html
○TBS
 ・ 03-3746-6666
   受付時間:午前10時から午後7時  
 ・メール  http://www.tbs.co.jp/contact/ 
○フジテレビ
 ・ 03-5531-1111
   受付時間:午前9時30分から午後9時  
 ・メール  https://s1.fujitv.co.jp/safe/contact/index.html
○テレビ東京
 ・ 03-7470-7777
   受付時間:午前10時から午後9時(土日祝日は午後11時から7時)
 ・メール  https://www3.tv-tokyo.co.jp/enq/subscribe.do?id=00000B5

参考:日本語の「ハ」と「ガ」



明日は明るい日

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霞立つ春の初めを今日のごと見むと思へば楽しとぞ思ふ  万葉集


以前、アン真理子という人の、「悲しみは駆け足でやってくる」という歌がありました。
「明日という字は明るい日と書くのね」という歌です。

昔の日本人が、あしたという言葉の表記に「明日」を当てたのは、明日はきっと明るい日になると信じていたからでしょう。
もしかしたら明るい日と書くことによって、言霊の力が明るい日をもたらすと信じていたのかも知れません。

日本人は明日を信じることができる幸せな民族でした。
しかしバブル崩壊以降の経済の停滞と、巨大化する災害の連続で、明日が明るい日であると信じきれない状況になっています。

巨大災害については、日本人は昔から何度も乗り越えてきました。
それに耐える英知と忍耐力を持っています。
問題は日本のバブル崩壊と、その後の貪欲資本主義を作り出してきた国際勢力との戦いです。
彼らにとって平和と安定は富を生み出さない否定すべきものであり、和を貴ぶ日本人がその価値観と共存することは日本的なるものの否定となります。

彼らの悪魔的な陥穽(かんせい)に抗することは容易ではありませんが、不調和な力が永遠に支配できるはずはありません。
宇宙の根本原理が調和、バランスである以上、和を貴ぶ日本人の生き方こそ、宇宙の原理、神の心に叶うものです。
日本人が日本人の心をなくさない限り、日本の明日は信じるにたるものだと思います。

ことしが皆様にとって良い年でありますようお祈りいたします。





パワースポットという幻想

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パワースポットが人気です。しかしむやみに信じては危険です。
パワースポットは、当初N極とS極の磁気が互いに打ち消しあって、ゼロに近い磁気を保っている場所のことをいいました。
しかしその後、神社や寺などがパワースポットであるかの如く宣伝.されるようになりました。神社仏閣はパワースポットではなく、むしろマイナスのパワースポットと言うべき場所です。

なぜマイナスのパワースポットかと言えば、これらの霊的な場所には成仏していない霊が数多くいるからです。むしろ、霊的に清浄なところは少ないと言ってよいでしょう。

昔の日本人は「いやしろ地」や「けがれ地」、あるいは気脈を見分ける能力があり、土地のエネルギーを判断して神社仏閣を作りました。ゼロ磁場と称される場所に、神社仏閣が多く存在するのはそのためです。しかしその後、このような霊的な場所に人間の欲や業が集積し、マイナスの場となっています。

パワースポットと思ってこのような場所を訪ねて憑依された人を何人も見てきました。
一度憑依されたら、憑依霊が勝手に離れることはありません。体は不調になり、性格は暗く、怒りっぽくなります。また自己中心的で欲望に振り回されるようになります。憑依霊はその人間を破滅させて、死に至るまで引きずり込みます。
これは嘘でも誇張でもありません。憑依霊が離れるのは、その人が自分の心を見つめ反省した時だけです。

霊的な世界については、それを語る人がたとえ日本を代表する財界人であっても、著名な学者や社会的に尊敬される立場の人であっても、簡単に信じては危険です。(遠慮して書いていますが、実名を出したいところです。)
それらの人も、霊的な世界については見ることも聞くこともできず、ただ人の話を鵜呑みにしていることが多いのです。
また霊能者と言われる人も安易に信じては危険です。なぜなら霊能者の多くが憑依を受けているからです。


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ついでながら、麻薬や危険ドラッグの使用も憑依を受けます。最近テレビで危険ドラッグを使用した人間の映像がよく出ますが、あの狂気の表情は憑依した地獄霊の表情です。
これらの薬物が怖いのは、常用するといつまでもその影響が残り、憑依を受けやすくなることです。史上最悪の薬物と言われる危険ドラッグは、憑依ドラッグです。

神社仏閣をパワースポットと信じている人を、さらに危険にするのが祈りです。
この場合の祈りとは、自分の願いを叶えてほしいと願う自己愛からの祈りです。人の幸せを願う祈りは愛であり光であるので、悪霊は憑依する事はできません。初詣などで神社や寺に行く際は願い事をせず、ただ「有難うございます」と感謝だけ述べて帰る方が良いでしょう。


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パワースポットに対する信仰は、日本人の中にある御利益信仰や偶像崇拝と同根です。
祈れば救われると信じ、仏像やお経に御利益があると信じる心が、パワースポットの信仰に繋がります。仏像や偶像に祈って救われれば簡単ですが、いくら祈っても空いたお腹を満たすことはできません。また夜トイレに行きたい時、いくら祈っても誰かが自分の代わりに行ってくれることはありません。自分の人生を変えられるのは、自分の思いと行い以外にはないのです。

以前に書いた記事、「信ずべきこと、疑うべきこと」で書いた、「本物の教えを判断する基準」を再掲します。
それぞれ常識や理性で判断できることです。神は存在すると確信していますが、安易に信じることは極めて危険です。


本物の教えを判断する基準

神は金を要求しない
神は決してお金を要求しません。お布施が少ないから守ってくれないとか、金を多く出したからご利益があるなどということはありません。そんなセコイ神様を信じてはいけません。第一、神はいったいどこでその金を使うのでしょうか

神は脅さない
信じなければバチが当たるとか、不幸になるなどと脅しをかける神は信じるべきではありません。神が創造主であれば人間はその子供です。わが子の幸せを願わない親はいないはずです。神がバチを当てたり不幸にすることなどありえません。
神は威張らない
威張るのは優越感か自信の無さからです。そんな小さな神様はいません。
「我はイエスである」、「我は何々菩薩である」、あるいは「我は大天使なんとかである」と名乗って出るのは100%偽者です。本物は決して肩書きを利用しません

先祖の祟りは無い
自分のお祖父さん、お祖母さん、あるいはもっと昔の先祖が、なぜ祟って自分の子孫を不幸にするのでしょうか。守りたいとは思っても祟って不幸にするはずがありません。

神は神殿に宿らない
宇宙を神が創ったのなら、宇宙全体が神の体です。いくら荘厳で立派な神殿を作ろうが、宇宙から見ればチリのようなものです。そのようなものに神は宿りません。

死んで墓に入らない」
人は死んだら天上界に帰ります。墓に入るのではありません。死んで墓に入ると思い込んでいる霊は、天上界に帰らずに墓でさ迷うことになります。

仏像を拝んでも御利益は無い
木や銅でできたものを拝んでも御利益はありません。仏像であれ、イエス・キリスト像であれ、それらは単なる物質です。神はわれわれ一人ひとりの心の中心にいます

神は非常識なことを言わない
私達は良いことをすれば気持ちがよく、悪いことをすれば心がとがめます。自分の行いを見ているもう一人の自分がいます。そのもう一人の自分は、何が正しいかを知っています。
その基準は常識です。非常識なことを信じろと教える神は疑うべきです

過去世にとらわれない
過去世が現在の自分に影響を与えていることは事実ですが、重要なのは現在の生き方です。
われわれは過去世を忘れて生まれてきます。それは過去世を知らない方が修行しやすいからです。最近はやりの退行催眠は非常に危険です。催眠術を受けると憑依される危険があります。注意してください。

心の法則を説く
正しい生き方、考え方を説かず、信じれば幸せになれる、金が儲かるなどと、利益ばかり強調する宗教は疑うべきです。人間が輪廻転生を繰り返すのは、過去世のカルマを解消し、魂を大きく豊かにするためです。経済的に満たされなくても、気づきの多い人生は豊かな人生です。

さわらぬ神に祟りなし
宗教を信じなくても正しい生き方をしていれば、神は守ってくれるはずです。
平凡な生活の中に学ぶべきことは沢山あります。
うかつに霊的な世界に係わることは非常に危険です。「さわらぬ神に祟りなし」です

不思議現象は疑う」
私達は超能力や霊能力を見ると、それだけですごいと思ってしまいます。しかし、たとえ不思議な能力があっても、その人間性に問題があれば、信じるべきではありません。
霊的体験をしてある日突然霊能力がついたという霊能者は、99.9%憑依されています。
判断すべき基準は、その人の心と行いです。

地位や肩書に騙されない
いくら地位や肩書があろうとも、その人が真理を語っている保証はありません。たとえ東大教授でも、見えない世界の事は伝聞による知識を語っているに過ぎません。天上界の真実の前に、地位や肩書は何の力もありません。

教えに科学的合理性があること
作用反作用の法則、原因結果の法則、波動共鳴の法則、エネルギー保存の法則などの物理法則と、心の法則は同じです。現れ方が違うだけです。
悪いことを行えば悪いことが、良いことを行えば良い結果が出ます。10の行いには10の結果がでます。その教えに科学的合理性があることが重要です。

エネルギースポットは自分の心の中にあります。
心の中には神の無限のエネルギーが宿っていますが、そのエネルギーを覆い隠しているのが人間のエゴです。
輪廻転生の目的は、エゴによって作られたカルマを解消することだと思います。

〈参考〉
高橋信次:「心の原点
      :「悪霊
      :「人間釈迦




服を後ろ前に着る

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子供の頃からよく服を後ろ前に着ていましたが、その間違いから開放されたのは、つい1年前のことです。
首の後ろにタグがあるのに間違うのは注意力が足りないせいですが、実は無知のためでもありました。

1年ほど前、服の左下に付いている小さなタグに気づきました。あることは前から知っていたのですが、タグは必ず左下に付いていることに気づいたのです。今頃気づくのも注意力不足の現われですが、それがわかればどちらが前かがわかります。
以来、前後を間違えることはなくなりました。トックリのセーターは首の後ろのタグが見えないので、はなから前後を気にせず着ていたのですが、それも間違うことがなくなりました。

服の左下のタグは洗濯やアイロンの注意が目的で、多分前後の識別という意味はないのでしょうが、どの服でも同じ位置にあるため、格好の目印となります。また前後の識別を左右の目印で行うことは、間違いを防ぐわかりやすい方法でした。

子供の頃からの、あわてもの、おっちょこちょい、注意力散漫の烙印から解放されたのですから、このタグの「発見」は自分にとって画期的なものでした。
この発見をした時、「知は力なり」というロジャー・ベーコンの言葉が浮かんだのですが、内容的にはちょっと違いますね。
いずれにしろ、知らないということは、損であり、恥であり、愚かであり、時に罪でさえあります。

「百聞は一見にしかず」と言います。風景や建物などは実際に見なければわからないでしょうが、ものの意味や本質は見ただけではわかりません。
星の王子様が、「かんじんなことは目に見えないんだよ」と言っているように、ものごとの本質は目には見えないのです。

理解は目ではなく言葉にあります。人に聞くか自分で考えることによって初めてわかります。
「百見は一聞にしかず」、あるいは「百見は一考にしかず」こそが教訓的な格言です。

服の後ろ前を間違わない方法に気づいただけで、まるで大きな発見をしたような言い方をして滑稽ですが、気づきはいつも小さいことの中にあるはずです。




自然に死ぬということ

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先だって老人介護施設を経営している方と話をしました。
その方の施設では延命措置を行わず、「自然死」を勧めているとのことですが、そのような運営方針に決めたのは、中村仁一さんの「大往生したけりゃ医療とかかわるな」を読んだのがきっかけだそうです。

中村仁一さんは老人ホーム「同和園」の付属診療所所長ですが、数多くの老人の死に立ち合った経験から、延命治療が患者を苦しめるものであり、自然死であれば苦しむことなく、おだやかに死を迎えられることを知りました。

「自然死」とは、老人の飢餓と脱水症状を伴う死のことです。「飢餓」の状態では脳内モルヒネ様物質が分泌され苦痛を感じなくなります。「脱水症状」になれば血液が濃くなり、意識が低下して苦痛を感じなくなります。また呼吸困難によって酸欠になれば脳内モルヒネが分泌され、さらに炭素ガスの排出が困難になれば麻酔作用が現れます。

つまり「自然死」であれば、痛みも苦しみも不安も恐怖もなく、まどろみの中であの世へ旅立つことができるようです。
「老衰死」は苦しみの無い死です。


大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)
(2012/01/30)
中村 仁一

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高齢者のガンは、発見が遅れて手遅れになっても、何の手出しもしなければ全く痛まず死んでいきます。
中村医師は、以前から「死ぬのはガンに限る」と思っていたようですが、年寄りのガンの自然死を60~70例見て、それは確信に変わったと言います。
高齢者にはガン死が一番良いと考える医師は少なくありませんが、中村医師はそのためには「ガン検診」や「人間ドック」などは受けてはいけないと言います。

現在は高齢者にも健康を求め、過剰な治療が施されます。
死を迎えようとする高齢者に対して、「鼻チューブ」により強制的に栄養を注入し、点滴で水分を補給します。チューブを抜かないように患者を縛り付けたりもします。

自然死を迎えるために体が枯れようとしているところに水分と栄養を補給すれば、体はそれを処理できず苦しむことになります。

尿が一日100cc位しか出ないのに1~2リットルの水を点滴すれば、腎臓はそれを処理できず、肺や足に溜まって行きます。体は水ぶくれになりますが、顔に出にくいため、お年寄りが苦しんでいることに家族は気づかないでいます。


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私の父が死んだ時も、足がバンバンに膨らんでいて腎臓が機能していない事はわかりましたが、それが点滴によるものだとは知りませんでした。
問題は医療従事者の多くがその事をわかっていながら、経営の為に延命措置を止めないことです。
十分生きたお年寄りに対して、苦しみを長引かせる延命行為は残酷です。

老人介護施設の中で行われている非人道的行為についてもお聞きしましたが、それは珍しいことではないようです。
認知症の老人に対して、施設によっては暴力行為が日常的に行われていて、どうして叩くのかと聞くと、どうせ覚えてないのだからという返事が返ってきたと言います。

流動食を流し込む管が汚れていた時、それを洗わずに老人の喉に刺し、管に熱い湯を流して、きれいになったと言ったのを見た時は、唖然としたと言われていました。認知症の老人は、そんな行為に対して何の反応も示さないのでしょうが、もしかしたら体が反応しないだけで意識はあるのかも知れません。

私の父を最初にお願いした介護施設では、夜間の管理が楽だという理由から、入所者に拘束衣を着せて寝させていたようです。
それを知って1週間で父を連れ出しましたが、その時の父のうれしそうな顔を見て、いかに非人間的な扱いを受けていたかを思い知りました。

知人のお母さんが入っている介護施設では、自立させるためと称してお年寄りを厳しく叱っています。
自立出来ないから施設に入っているのです。そんな施設では家族のいないところでどんな暴力行為を働いているかわかりません。

親を自宅で見取ることは極めて困難になっていますが、せめて親身になって介護してくれる施設を選びたいものです。
それが最後の親孝行ですが、人が一生を終えることの難しさを痛感する現在です。





スズメに餌をやるホームレス

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まだ暑かった頃のこと、空き缶をたくさん積んだ自転車を傍らに止めたホームレスとおぼしきおじさんがパン屑を撒いていて、足元では7~8羽のスズメたちがそれをついばんでいました。
その光景がほほえましく、少し離れたところから足を止めて見ていたのですが、それに気づいたおじさんは人の良さそうな笑顔をこちらに向けました。

私の視線にとがめる雰囲気は無かったはずですが、その場所が銀行の駐車場の一角だったせいか、おじさんはエサを与えるのを止めてしまい、スズメたちは飛び去って行きました。

今にして思えば、パン屑を撒くおじさんに、7~8羽のスズメが寄ってきたことはすごいことでした。スズメは警戒心が強く、エサを撒いても人がいれば寄ってきません。


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むかしある人から、日本野鳥の会の創立者である中西悟堂が縁側に座っていると、小鳥が寄ってきて肩に止まったという話を聞いたことがあります。その方のお父さんは日本野鳥の会の会員で中西悟堂の知人だったので、多分本当のことだったのでしょう。そのエピソードを思い出しました。

しかし空き缶を回収して生活するホームレスがいるのは、いかにも日本らしい光景ではないでしょうか。
日本は物乞いがほとんどいない稀有の国です。物乞いをして人の憐みを受けるより、空き缶を回収して自分で生きて行くことを選ぶのが日本人です。

月にいくら稼げるのかわかりません。自転車に目一杯積んでも20kg位でしょう。アルミ缶は100円/kgしないので、1回の回収で稼げる金額は知れています。今年は冷夏でビールの売れ行きが悪かったので、回収量が減ったかもしれません。

以前は空き缶を回収をしている人を見て、大変だなと同情はしても、それ以上の興味はありませんでした。しかし最近は生活保護を受けずに自力で生きていることに感心します。

現在、生活保護を受けている人間の数は200万人を超えています。
働けるのに働かず受給している人間や、高収入を隠して受給している人間も少なくありません。外国人の不正受給者を含め、多くの人間が自力で生きることを放棄しています。

日本人の本質は変わっていないと思うことと、日本人はこんなになってしまったと思うことが併存していますが、空き缶を回収するホームレスは、もしかしたら変わらない日本人の一面を表しているのかも知れません。

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「新解さんの謎」を読む

新解さんの謎 (文春文庫)新解さんの謎 (文春文庫)
(1999/04)
赤瀬川 原平

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かなり以前に阿川弘之が紹介していた、赤瀬川原平著「新解さんの謎」をブックオフで見かけたので買ってみました。
しかしこれは想像を超える代物でした。

「新解さん」とは三省堂の「新明解国語辞典」のことで、その説明や例文に漂う面白さを発見してゆく内容です。「新明解国語辞典」の編者の、生真面目で少し古めいた考え方がたくまざるユーモアとなって笑えます。

赤瀬川原平はある夜、「路上観察学会」の会員である若い女性から電話をもらいます。
彼女は「新明解国語辞典」の記述の奇妙さについて説明します。

「新明解国語辞典」の恋愛についての説明。

れんあい【恋愛】―する 特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、できるなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる。(まれにかなえられて歓喜する)状態。「―結婚・―関係」

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歓喜する

私は変な気がした。読書のような気持ちになった。辞書なのに。

「何これ、いま見てるけど」
「凄いんですよ。凄いと思いません?」
「いや、たしかにこの通りだよ。ちょっとこの通りすぎるね」
「そうなんです。その感じなんです。こんな辞書ってほかにあります?」
「うん、合体ね。恋愛の説明に合体まで出るか」
「凄いんです」
「しかも出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら。この“出来るなら”というのが・・・・」
「そうなんです。真にせまるんです」
「出来るなら、ねえ。辞書ってここまで書くのかな」
「いえ、この辞書が特別なんです」
「ふうん、新明解・・・・」
「もう黙っていられなくて」
「たしかにね。“常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる”なんて、辞書にあるまじき細かさだな」
「もう文学です。訴えているんです
「そのダメ押しがまた(まれにかなえられて歓喜する)。これをわざわざ丸カッコに包んで出している」
「正確なんです」
「合体が、まれにかなえられて歓喜する、そうだったよなあ、恋愛なんて」
いけない。夜の十一時である。相手はまだ若い女性だ」
「それでわたし、たまらずに“合体”を調べたんです。229ページです」
積極的である。相手の方が先を行っている。私もあわてて後をついて行く。

がったい【合体】―する ①起源・由来の違うものが新しい理念の下(もと)に一体となって何かを運営すること。「公武―」②「性交」の、この辞書でのえんきょく表現。


「運営ねえ」
「運営ですよ」
「でも辞書とか、お役所仕事というのは、大マジメなところが即おかしかったりするもんだよ」
「そうなんですけど、ここではむしろ②です。“この辞書でのえんきょく表現”。何か辞書なのに、自己主張を感じませんか」
「たしかに匂うね」
「もう大変に匂います。わたし以前からこの匂いが気になっていて、最近ちょっと記録をとってみたら本当に凄いので、夜分すみませんでした。こんなお電話して」
「まだあるんですね」
「もうたくさんあるんです。明日すぐにお送りします」

あくる日、速達の郵便物が届いた。

【性交】
そりゃあたしかに、恋愛―合体ときたらこの言葉に進まないわけにはいかないだろう。

せいこう【性交】―する 成熟した男女が時を置いて合体する本能的行為。

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私はこの文中の“時を置いて”というのに感動した。時を置かずになしていたら、それこそ頬はげっそり落ちてふらふらになる。人生に一、二度はそういうことがあるものである。
一、 二度でなく、二、三度かな。いけない、私も新明解国語辞典みたいになってきた。
でもいいなあ、時を置いて。この親切な実感。一週間か。あるいは二日とか三日とか。人によっては一月、あるいは一年ということもある。私は七年という人を知っている。
いけないなあ、考えることがリアリズムになりすぎる。単なる辞書なのに。これは明解というより実感国語辞典だ。


―ここまで読んできたら、新明解国語辞典の面白さは赤瀬川原平の文章力によって増幅されているのがわかる。
この本はその増幅を楽しむものなのだ。

バカについての記載を見てみよう。

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ばか【馬鹿】記憶力・理解力の鈍さが常識を越える様子。また、そういう人。
[人をののしる時に一番使う語。公の席では刺激が強すぎるので使わない方がいい]⇔利口


私は読んだあと、思わず遠くを見つめた。
[公の席では刺激が強すぎるので使わない方がいい]
こんな親切な辞書があるだろうか。親切と言うよりおせっかいというか、いやいや、犯罪を未然に防ごうという心づかいは親切であろう。・・・・
なになに、報告によるとこれは第一版・第二版のもので、第三版以降はさらに変化しているという。


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公の席

ばか【馬鹿】[雅語形容詞「はかなし」の語根の強調形]
① ―な 記憶力・理解力の鈍さが常識を超える様子。また、そうとしか言いようの無い人。[人をののしる時に最も普通に使うが、公の席で使うと刺激が強すぎることが有る。また、身近の存在に対して親しみを込めて使うことも有る。例、「あのー(=あいつ)が・― ―(=女性語で、相手に甘える時の言い方)]


なるほど、いっそうの充実を見せている。問題は「女性語で」の項。じつはそのカッコの
上に「― ―」とあるが、これは単なる二本の線ではなくて用例なのだ。つまり
「馬鹿馬鹿」
ということらしい。漢字では感じがでないが、要するに
「ばかばか」
ということ。しかしここまできたら、
「いやん、― ―」としてほしかった。あるいは「ばか」の下に小さいカタカナの「ン」がつくこともある、という、よりいっそうの親切心も必要だろう。


―引用したらきりがないので止めますが、こうした言葉遊びの面白さは紙に印刷した辞書だから可能なのであって、パソコンやスマホでは全体の一覧性がないので趣が変わります。
そういう意味では、この本は失われつつある辞書の時代の思い出のような作品です。

以前、「舟を編む」について書いた記事で、パソコンやスマホの普及で大部な辞書の編纂は今後出来なくなるだろうと書きましたが、辞書や事典のレベルがその国民のレベルを反映しているとすれば、今後日本人の言語的素養が向上することは期待できないでしょう。

多分、本が売れずに書店の数が減少の一途をたどっている現状と、何を食べても「ジューシー」としか言えないテレビのレポーターたちの言葉の貧困とは無縁ではないはずです。
言霊の幸ふ国は、いまや貧困な言霊の国になりつつあります。