カメの恩返し

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わが家の近くを流れる川の両側には桜並木のウォーキングコースがあって、一日中多くの人が歩いています。
犬を散歩させる人を除けば、その多くが60~70歳代で、健康が気になるのがその年代ということがわかります。

ウォーキングは認知症予防に効果があることがわかっていますが、ただ歩くのはむずかしく長続きしません。
その点川の傍の道は、流れの変化やそこにいる鳥や魚やカメなどの様子を見ながら歩けるので、毎日同じコースを歩いても飽きることがありません。

この川は街中を流れていてあまりきれいな水ではないのに、たまにカワセミを見かけることがあり、天気の良い朝には10匹以上のカメが集まって甲羅干しをしているのどかな光景が見られます。


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2週間ほど前、二人の男の子が、捕まえたカメを踏んづけるマネをしていたので思わず注意して川に帰させたことがありました。

それから1週間ほどして、今度は土手のフェンスの近くでもがいていたカメがいたので、川のそばまで運んで放してやりました。
石垣かコンクリートブロックを上り、こんなところまでどうやって上がって来たのか不思議でした。
それから3日して、今度は川を上がり、桜並木の歩道を渡り、さらに自動車道路を渡ってたたずんでいるカメを見つけたので、雨に濡れた川原の草をかき分け川に返してやりました。


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川の両側は傾斜のきつい石垣やコンクリートブロックで覆われており、それを上がった土手は草に覆われています。
川からは5m以上の段差があり、一体どうやって上がってきたのか見当がつきません。
(冒頭の写真が現場です)

これまでカメが川から上がっているのは一度も見たことがないのに、1週間で2匹を見かけるとはどういうことだろうか。
子供たちにつかまっていたカメは別にして、あとの2匹は一応助けてやったと言ってもよいはずだから、これはカメの恩返しを期待してもよいのかもしれない。
ウミガメではないので竜宮城は無理だろうから宝くじでも買ってみようか。

しかしもしかしたらカメには何かの目的があって、何度も落ちながら苦労して川から這い上がったのに、ようやく上がったと思ったら、おせっかいな人間にまた川に戻されたと思っているかもしれない。

カメの恩返しを期待するのは、もう一度助けてからにしよう。



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美しければすべてよし

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オオキンケイギク(大金鶏菊)の鮮やかな黄色は、初夏の季節の楽しみでした。
しかし何年か前から根もとから抜かれているのを見かけるようになり、なんてひどいことをするのかと思っていたら、オオキンケイギクの駆除が報じられるようになりました。
以前の記事でも書きましたが、オオキンケイギクは特定外来種に指定されていたのです。

オオキンケイギクは繁殖力が強く、在来腫の生育を阻害するようです。
しかしあのきれいな花が見られるなら、植生の変化はやむをえないと考える人もいるはずですが、オオキンケイギクを特定外来種に指定した学者たちにとって、美しさは判断の基準にならなかったようです。

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 クリックすれば大きくなります。


たとえばセイタカアワダチソウやハルジオン、オオアレチノギク、ホテイアオイ、あるいは西洋タンポポなど、私たちの周りには特定外来種があふれています。しかし駆除しようとする運動がないのは今となっては無意味だからでしょう。

「出る杭は打たれるが、出すぎた杭は打たれない」という言葉を思い出します。

生命力の強いオオキンケイギクもいずれそうなって、あの黄色い美しい花が「肩身の狭い思いをせずに」初夏の日本を飾ってほしいと思います。

日本人の最もすぐれた特性は、美に対する感受性だろうと思います。
良い心とは言わず、うつくしい心と言います。
すぐれた徳性を美徳と言います。
しつけ(躾)は体に美しいと書きます。

オオキンケイギクは美しくないのでしょうか。
もう一度山本夏彦さんの言葉を紹介しておきます。
「美しければすべてよし」




真央ちゃんとゆるキャラ

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浅田真央ちゃんの引退に伴うマスコミの大々的な報道を見て、あらためて真央ちゃんがどんなに愛されていたかを知りました。

なぜ真央ちゃんがこれだけ日本人に愛されたのかを考えることは、日本人の特性を知るための格好のテーマです。

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真央ちゃんが愛された理由を考えるとき、思い浮かぶのが「ゆるキャラ」です。
ゆるキャラが日本人に受けた理由の一つは、丸く角がないデザインと材質にあるでしょう。角がないため攻撃性が感じられず親近感を覚えます。柔らかい材質はあたたかさや安心感をあたえます。

顔の作りは美しさではなくかわいさを追求しており、体型は基本的にバランスの悪いドラえもん型です。
ドラえもん体型には日本人が親近感を覚える理由があります。

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古来日本人は黄金比ではなく白銀比に親しんできました。
黄金比(1:1.618≒5:8)がピラミッドやパルテノン神殿、ミロのヴィーナス、ダヴィンチのモナリザ、オードリー・ヘップバーンの顔の縦横比などに見られるのに対し、白銀比(1:1.414≒1:√2)は、法隆寺、仏像や浮世絵の顔の縦横比 風呂敷、A判用紙などに見られます。
白銀比は大和比とも呼ばれ日本が発祥です。

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タレントや女優でも美しいというよりかわいい方がもてはやされます。
たとえば有村架純の顔はほとんどゆるキャラですし、「あまちゃん」の能年玲奈(なぜか干されて、現在は「のん」に改名)は文春の好感度ランキングではV2となっています。美人顔でないのがポイントでしょう。

なぜ日本人は美人よりかわいいを好むかのかと言えば、美人には気取りがあったり、高飛車であったり、生意気さが感じられたりするのですが、かわいさにはそれがありません。
まわりとの調和が感じられます。
「かわいい」は日本文化のキーワードになっていますが、それは和を尊ぶ日本人の性格と感性の現れと言えます。

真央ちゃんは女子フィギュアスケートのトップスターでありながら、いつも子供のような笑顔をうかべて、少しも偉ぶるところがありません。まず思い浮かぶのが「かわいい」であり、日本人が一番好きなタイプです。

それにしても引退会見で『トリプルアクセルになんて言ってあげたいですか?』と愚かな質問したNHKの記者は、現在のマスコミのレベルの低さを象徴しています。
質問の愚かさなら金メダルです。

参考:「日本人の常識は間違っているか

黄金比より日本人にとって馴染みのある比率「白銀比






プーさんが喜ばぬ蜂蜜

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子供のころ蜂蜜は貴重品でした。
蜂蜜が安くなったのは輸入品が入り始めてからですが、それにしても昨今の安さは尋常ではありません。
スーパーでは1リットルくらいの容器に入ったものが1000円以下で売られています。
砂糖やブドウ糖、異性化糖などの混ぜものが入っているのだろうとラベルを見ると純粋蜂蜜と書かれています。

一匹のミツバチが一生のうちに集めるのが1gと言われますので、ミツバチの一生の働きが1円にも満たないことになります。
いくらなんでも安すぎると思っていたらこんな話を聞きました。

健康のために世界中の蜂蜜を探して、ついには世界最高といわれる天山山脈に自分用の蜂蜜採取場を作ったある方から聞いた話です。

冬になると花も蜜も少なく蜂も活動しません。冬場に蜂蜜の採取量を落とさないためにはどうしたらよいのでしょうか。
こういう時の中国人の発想は日本人にはマネができないものです。

なんと屋内に巣箱と砂糖水を置き、ミツバチに採取させるのだといいます。
蜂が採取したもので、糖分を加えてなければ純粋蜂蜜ということになるのでしょう。
蜂蜜は冬になるとブドウ糖が白く結晶化しますが、こういう「純粋蜂蜜」が結晶化するかどうかはわかりません。

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ニュージーランドに「マヌカハニー」という蜂蜜があります。
ニュージーランドに自生するマヌカの花から採れる蜂蜜で、ピロリ菌を殺す強い抗菌作用があります。
抗菌作用の強さによって値段が変わりますが、一番高いものは500gで4万円近くするものもあります。

マヌカハニーのニュージーランドの生産量は1700t位ですが、イギリスで販売されているものが1800t、世界の販売量は1万tを超えます。
偽物の多くがオーストラリア産ですが抗菌作用はありません。
消費者は大金を出して偽物を買っていることになります。

テレビで蜂蜜の宣伝を見るたびに、蜂蜜はイメージ商品だと感じます。
本当の「純粋蜂蜜」であればよいのですが。



日本人の常識は間違っているのか


日本にグローバリズムが押し寄せたころ、評論家の竹村健一が「日本の常識は世界の非常識」とテレビで言い立てました。
何回もそれを聞いた人は、間違っているのは日本人で、日本人は世界の常識を知らないのだと思ったはずです。
しかし正しかったのは日本人です。

縄文時代より日本人は調和を大切に生きてきました。
弥生時代に入り、大陸から武器が持ち込まれ戦いと殺戮が始まるまで、縄文時代は人を殺した痕跡の無い稀有な時代でした。
それが1万5000年以上続きました。

日本の昔の国名は大和の国です。
「大いなる和」の国です。
調和を何より大切にした人々が住む国でした。
聖徳太子の17条憲法の第一条に「和をもって尊しとなす」と書かれているのも当然です。

日本人の特性の多くが「和を尊ぶ」ことからはじまっています。
日本人はあいまいだと言われます。
良いとも悪いともはっきり言わず、遠慮がちで自己主張が下手です。

日本人がNoというのが苦手なのは人を傷つけたくないからです。
礼儀正しさや丁寧さ、時間を守り約束を守るのもすべて人に迷惑をかけないためです。
その根底には、調和を守ることが人としてもっとも大切なことだと考えてきた日本人の価値観があります。

宇宙の根本原理はバランス・ハーモニーです。
銀河や太陽系が円運動し、原子が円運動するのもバランスを守る最適な運動だからです。
お湯をコップに入れて放置すれば室温まで下がり安定します。
ボールを投げれば、やがて投げたエネルギーと重力がバランスして停止します。
相反する性質の酸とアルカリを混ぜれば中和します。プラスの電気、マイナスの電気もそうです。
自然は勝手にバランスを保つように造られています。!!

不調和は人間の世界にしかありません。

宇宙の法則が神によって作られたとしたら、神は調和を宇宙の中心原理としました。
宇宙には物理法則と心の法則がありますが、どちらも調和・バランスが中心にあります。

日本人こそ最も神の心に近い民族です。(戦後堕落したといえ)
日本人は無宗教だと言われますが、神の心に最も近い民族に特定の宗教は必要ありません。

日本人の常識は神の心にかなったものです。
欲望に振り回されている世界の常識と違うのは当たり前です。

しかし明治維新によって防波堤の中の調和された世界に汚れた大波が寄せてきました。
その中で生きるしかないとすれば、自分たちの心を失わず、しかし周りの世界の権謀術数に目を配りそれを上回る英知で対抗するしかありません。
明治の人たちにはそれができました。

戦後、日本人はGHQの占領政策によって、すべて日本人が悪かったという自虐史観に洗脳されました。
昭和が明治の時ほど賢明ではなく、善良でもなかったとしても、植民地を持つ欧米の国々ほど貪欲ではなく非人間的でもなかったはずです。
欧米が正義で日本が悪であったという洗脳から、もう目を覚まさなければなりません。

日本人の心こそ神の心に一番近いことを、私達は知るべきだと思います。

≪参考≫

日本の戦後に行われたこと

日本の戦いとは何であったか(2)

日本の戦いとは何であったか




「アマゾン・プライム」には気をつけよう」

アマゾンプライム

先だってクレジットカードの請求明細に、アマゾン・プライムの料金3900円が記載されていて驚きました。そんなもの利用した覚えはないのだがと思いをめぐらせると、注文の時、「通常配送」と「アマゾン・プライムで配送する」との選択を間違ったのだと気付きました。

「アマゾン・プライム」が優先表示されており、また間違って注文するように小さい文字で書かれてあるのです。
しゃくにさわるので解約しようと思ったのですが、今解約すれば見す見す3900円損する事になるので来年8月まで利用することにしました。

しかし来年解約を忘れたら自動的に延長されるので、来年のカレンダーを入手したら早速8月のページに、大きく、「アマゾン・プライム解約」と書きこんでおく予定です。

アメリカのアマゾン・プライムの会員は1200万人を超えており、年会費収入だけで6200億円に上るといいます。
今年日本でアマゾンが配送を有料化したのも、配送費の高騰だけではなくプライム会員を増やすためだったようです。
アマゾンの日本での売り上げは今年1兆円を超える見込みですが、日本のアマゾンは倉庫の扱いであるため所得税はゼロです。

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最近こう言った人を落としいれるような手法が大手を振っています。
多くの人が体験しているはずですが、携帯電話の解約も更新時期を外すと多額の違約金を取られます。最近見直すように指導が入っているようですが、昔の日本企業ならこんな恥ずかしい商売はしなかったはずです。

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日本には創業100年以上の企業が2万6000社以上あり、200年を超える企業が3146社あります。2位はドイツの837社、オランダが222社、フランスが196社と続きます。

創業200年以上の企業は世界で5586社ですので、56%以上が日本にあることになります。ちなみに世界最古の企業は、578年創業の建設会社金剛組で聖徳太子の時代に四天王寺を建立しています。

こうした老舗企業に共通しているのは、信用第一、正直、勤勉、倹約といった家訓です。嘘をついたり騙したりすればその途端に信用を失い、客は離れていきます。

苦労をして事業を立ち上げた創業者と違い、2代目、3代目・・・となると安易に利益追求に走りがちですが、誘惑に負けず厳しく家訓を守った企業だけが生き残っています。
200年以上続く企業が3146社あるところに、日本人のすぐれた特性(徳性)が現れています。

家訓を守り長く存続してきた企業の存在は、心がすべての価値の中心にあることを示しています。
人をだましても儲けれさえすればよいと考える企業が永続するはずがありません。
強欲資本主義は神の摂理に反する領域に入っており、近い将来限界に達するのではないでしょうか。


日本の老舗企業一覧





言霊と元号

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今上天皇の譲位(生前退位)が平成30年までに行われる見通しです。
ご高齢の陛下にはゆっくりと今後の時間をすごしていただきたいと願う一方、高貴で仲睦まじい天皇皇后両陛下が表舞台から去られることを残念にも思います。

天皇が変われば元号が変わることになりますが、「平成」は言霊的に問題が多すぎたようです。
むしろ最悪の年号だといってよさそうです。

作家の丸谷才一さんは『元号そして改元』で、平成という元号の問題点について書いています。

≪・・・「中国の年号では平の字が上にくるものは一つもない。日本では、これ以前はただ一つの平治があるだけで、平治と定めるとき、中国の例を引いてもめたのだが、多勢に無勢だった。果せるかな、あの戦乱(注 平治の乱)が勃発。翌年1月、改元。

しかしわたしが平成をしりぞけるのはこのためだけではない。日本語ではエ列音は格が低い。八世紀をさかのぼる原始日本語の母音体系は、a,i,u,oという四つの母音から成っていたと推定される。(大野晋『日本語の形成』)

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日本語の形成

大野さんの説によると、このため後来のエ列音には、概して、侮蔑的な、悪意のこもったマイナス方向の言葉がはいることになった。アハハと笑うのは朗らかである。イヒヒとは普通は笑わない。ウフフは明るいし、オホホは色っぽい。しかしエヘヘは追従笑いだ。エセとかケチとかセコイとか、例はいくらでも。

なかんづくひどいのがヘで、例のガスを筆頭に、押されてくぼむのはヘコム、疲れるのはヘコタレル。言いなりになるのはヘーコラ、上手の反対はヘタ、ご機嫌取りはヘツラフ、力がないのはヘナヘナ、いやらしい動物はヘビ、と切りがない。
ヘイセイ(実際の発音はヘエセエ)はこのエ音列四つ並ぶ。明るく開く趣ではない。狭苦しくて気が晴れない。これでは『史記』の「内平らかに外なる」、『書経』の「地平らかに天成る」にもかかわらず世が乱れるのは当たり前だった。

・・・元号のせいで凶時がつづくなどと言うと、縁起をかつぐみたいで滑稽かもしれない。しかしあれはもともと呪術的な記号である。縁起ものだからこそ、平治のときのように、これはいけないとなると改元した。一世一元と定めた法律は、古代の慣行を捨てかねずにいながら、しかも古人の知恵を無視して、生半可に近代化している。早速、法律を手直しして改元すべきだろう。・・・≫

丸谷才一さんの見解は言語学者の大野晋さんに負うところが多いようですが、作家の加藤廣さんも『昭和への伝言』で、「平成」の問題点について次のように書かれています。


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≪「平成」の二文字・・・
「内平らかに外なる」(『史記』)
「地平らかに天成る」(『書経』)
からの引用だそうで、国の内外にも天地にも平和が達成されるという意味が込められているとのこと。

・・・(元号って、国の姓名判断みたいなものだろう。ならば支那=中国の出典などはどうでもいい。そんなことより日本の年号の歴史で、これまで「平」と「成」の二文字が、どう取り扱われていたのか。そのほうがもっと大事だろうに)
そう思ったボクは、早速歴史の本を引っ張り出し、おもしろ半分に調べてみた。そして驚いた。「平」も「成」もほとんど使われたことのない文字だったのである。

ちなみに平成の年号は、最初の年号の「大化」から数えて、百四十七番目に当たる。これまで年号に用いられてきた文字は七十二字。うち一回だけの使用文字が三十字。この程度なので、実際は四十字ぐらいが何度も繰り返して使われてきたようである。
その中で「平」の字は、天平、寛平、承平、平治、正平など十一回。そして、そのほとんどが、疫病の流行(天平)、将門の乱(承平)、武士の台頭と興隆(平治・正平)等々、天下大乱の時。以後忌避されたものか、六百年以上使われていない。「成」に到っては、一度しか使われたことがないのである。

二つあわせれば、「天下大乱成る」というわけでますます不吉きわまりない。
・・・困ったな、ろくな時代にならないんじゃないのかなーーそんな危惧が残った。

ではそういうお前たちの「昭和」はどうだったのか?
平成生まれの若い人たちに、そう問い詰められる前に、結論から言う。「昭」も初出、「和」は十九回。これもたいしたことはないのである。
・・・実際、昭和には、文化的にみても、平成の若い方々に誇れるようなものはなに一つなかった。いたずらに合法的に人殺しをするための文明だけが異常に発達し、よき日本の文化と自然まで壊してきたのではなかったか。
―国破れて山河もなしー


「平成」の元号を考えたのは陽明学者の安岡正篤(やすおか まさひろ)であると言われています。丸谷才一も安岡ではないかとほのめかしていますが、元号は縁起物なので昭和天皇崩御前に亡くなった安岡の案が採用されることはないだろうともいわれます。
昭和天皇崩御の後、元号に関する懇談会が開かれ、この懇談会にはメディア関係の大物や大学総長(専門はそれぞれ刑法学と病理学)が参加していたようです。
丸谷才一は、そんな人たちではなく、日ごろ言葉の使い方で苦労している、語感の鋭い、詩人、劇作家、小説家を入れればよかったのに、と述べています。

もし元号が「平成」でなかったとしても、バブル経済のツケは払わなければならず、東日本大震災も避けることはできなかったでしょう。
しかしながら日本人が毎日目にし口にする「平成」という言葉が、日本人の集合意識に影響しないはずはなく、もしそれが平成ではなく明るく力強いものであったとすれば、昭和が終わった後の時代の様相は違ったものになったはずです。

いにしえ人が「言霊の幸ふ国」と呼んだこの国ですから、近々現実となる改元において、未来に希望の抱ける元号が制定されることを願います。






「少年時代」は夏の歌か

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井上陽水の「少年時代」は、いまや夏を代表する曲となっている。
日本人なら誰もが郷愁を覚える名曲だが、本当に夏の歌なのだろうか。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    「夏が過ぎ 風あざみ
    だれの憧れにさまよう
    青空に残された 私の心は夏もよう」 
  

風あざみは造語らしい。
夏が過ぎて秋になったが、青空を見る私の心は夏模様なのだと理解できる。
「だれの憧れにさまよう」、・・・なんとなく詩的な表現だが意味不明。
  
    「夢が覚め 夜の中 長い冬が
    窓を閉じて 呼びかけたままで
    夢はつまり 想い出の後先」 
   

夢から覚めたら冬の夜だったらしい。窓を閉じて呼びかけてきたのは「長い冬」だったのだろうか。親切な長い冬だ。
「夢はつまり 想い出の後先」、・・・「つまり 想い出の後先なのだ」、と言われても何がつまりなのかわからない。

     「夏祭り 宵かがり 胸の高鳴りに合わせて
    八月は 夢花火 私の心は夏もよう」
    

冬からいきなり夏祭りである。「宵かがり」、「夢花火」は陽水の造語だが、ここの文脈は珍しく意味が理解できる。
「私の心は夏もよう」は、夏が過ぎたけれど私の心はまだ夏模様というのではなく本当に夏なのだ。
 
    「目が覚めて 夢のあと 長い影が
    夜に伸びて 星屑の空へ
    夢はつまり 想い出の後先」 
   

長い影ができるのは冬だから、ここは冬のことだろう。しかし夜の星空に伸びる長い影っていったい・・・
普通の人はおかしいと思うだろうが、井上陽水はおおらかなのだ。

     「夏が過ぎ風あざみ 
    だれの憧れにさまよう
    八月は 夢花火 私の心は夏もよう」 
   

「風あざみ」は造語らしい。夏は過ぎたけど「八月の花火は楽しいな、夏はいいな~」と主人公は回想し、私の心は夏模様だと歌っているのだ。
「だれの憧れにさまよう」、誰が誰のあこがれにさ迷うのか、詮索してはいけない。

上記のように、この歌が夏の歌である証拠は何もない。はっきり言えるのは、主人公は冬の長い夜に目が覚めてしまって、夏はいいなといっているのだ。
にもかかわらず、この歌を聞いてだれもが夏をイメージするのは、さすが井上陽水というべきなのだろう。









供養について考える

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先だって母親の法事で実家に帰った時、永代供養をどうするかと聞かれたので、「必要ないと思う」と答えました。

その理由は後に記しますが、仏教の儀式については、形式化し意味がわからず行っているものがすくなくありません。

日本人と供養の歴史について考える手掛かりが墓にあります。
日本に個人の墓ができたのは(貴族や権力者の墓を除き)江戸時代中期か、せいぜい江戸時代前期と言われます。
中世まで墓が無かったのは、人は死ねば極楽浄土に往生すると考えられていたからですが、墓に入るよりはるかに好ましい死生観です。

現在の墓の主流である、「~家の墓」という家族墓に至っては明治時代に一般化したといわれます。
(東大の本郷教授によれば、綱吉の生類憐みの令以降に家族墓ができたといわれています。)
私たちが当たり前だと考えている墓や墓参りが、比較的最近になってできたものであることに驚きます。

なぜ江戸時代になって墓ができたのかはっきりしませんが、中世までの戦乱の世では、人々は厭離穢土(おんりえど)、けがれてつらいこの世を去って、極楽浄土に往生することが何よりの願いでした。
しかし江戸時代に入り、世の中が安定し人々が生活を楽しむようになると、人は死んでもこの世に執着を持つようになったのではないでしょうか。

そうしてあの世に帰らずこの世に執着する霊が増えると、人々の生活に支障が出てきます。
成仏しない魂に対して死んだら墓に入ると教えることで、人々の日常生活と死者の世界の住み分けをはかったのかもしれません。

死んだら墓に入ると思いこんだ霊は、帰るべき光の世界がわからず、成仏できずにこの世に留まることになります。
供養とは魂を光の世界、浄土に帰すことです。
しかし、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌、五十回忌、あるいは永代供養などというと、何回供養すれば魂をあの世に帰すことができるのか疑問に思います。

(兄弟親族が集まる場としての法事は、みんながバラバラに暮らす現在では貴重な出会いの機会であることは間違いありません)

浄土信仰は、仏像という物質を有りがたがり、僧侶の読経によって極楽に往生できると考える他力信仰となりました。
しかし光の世界に帰る為には、光の世界にふさわしい心でなければなりません。
生前、自己中心的でまわりの人々を不幸にした人間が、いくら死んだ後にお経を読んでもらっても光の世界、浄土に帰ることはできないはずです。
そのような魂は、あの世で自分の過ちに気付くまで、光の世界に帰ることはできません。

経とは経糸(たていと)のことです。
経糸がぐらついては、しっかりした織物はできません。
人生の指針となる、永遠に変わることの無い真理を経と呼んだのです。
お経は生きている人間が理解し行うべきものであり、死者に聞かせるものではありません。

仏教はお釈迦様の説いた原点に帰らなければなりません。

参考:
戒名とは何か

佐藤弘夫著「死者の花嫁―葬送と追想の列島史―」
死者の花嫁とは現在の山形県村山市で、独身のまま亡くなった男子に花嫁を添わせた絵馬を作り、死者を弔う風習をさします。

広葉樹の恵みと日本人が失ったもの

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今年の春、山形の天童市と東根市の山々を見た時の感動は忘れられない。

やわらかい黄緑色の新緑に覆われた山の様子は息をのむほど美しかった。

 

戦後、焼け野原と化した日本に住宅を建てるため、おびただしい数の針葉樹が山に植えられた。日本人の徹底した仕事ぶりによって山は針葉樹に埋め尽くされたが、それらは現在手入れされない痩せた森林となっている。

しかし東北には美しい広葉樹が残っていた。

 

日本の文化は広葉樹林文化(照葉樹林文化)と呼ばれる。

縄文時代は落葉広葉樹林がもたらす豊かなドングリや栗、栃などの実によって、人々は争うことなく平和に暮らしていた。

縄文時代が1万5千年以上平和に続いたのは広葉樹林の恵みによってであった。多分、日本人の和を尊ぶ心の原点には広葉樹があったのだと思う。

 

高度成長期の頃だったか、「日本は戦争に負けて良かったか」という問いかけがよくなされた。当時は「民主主義になったので負けて良かった」という意見が大半だったが、もしその議論で日本が敗戦で何を失ったかが語られていたら、戦争に負けて良かったという意見は出なかっただろう。

 

敗戦によって衆愚政治としての民主主義と引き換えに日本人は多くのものを失った。

 

権利や自由の過度な主張、国を愛する心の否定、なんでも責任転嫁し自分は悪くないと思う反省の欠如、家族制度の破壊(大家族制度の崩壊が少子高齢化、地方の過疎化の原因となっている)、これらの背後にはGHQの日本弱体化計画があった。

さいわいにして和を尊び、礼儀を重んじ、慎み深く謙虚であること、まじめで勤勉でより高みを求める心はまだ日本人の心から消え去っていない。これらの美徳は、もしかしたら広葉樹の恵みによって縄文時代から日本人のDNAに刻まれてきたのかもしれない。

 

そういえば敗戦によって広葉樹の景観とともに街並みの景観も失われた。

戦後、GHQが日本の立派な家屋を接収したあと、柱にペンキを塗ったといわれている。文化のないアメリカではなく、もしフランスやイギリスに占領されていたのなら、もうちょっとマシな街並みになっていたかもしれない。

 

日本が敗けて良かったことなどないと、広葉樹の山々を見ながらあらためて思った。

 

 

日本の戦いとはなんであったか

日本の戦いとはなんであったか(2)

日本の戦後に行われたこと

本当に幸せな人

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 宗次徳二さん

名古屋の栄にあるクラシック音楽ホール「宗次(むねつぐ)ホール」に行くと、入り口で一人一人の客に、にこやかに「いらっしゃいませ」と声をかける男性がいます。それがカレーチェーンCOCO壱番屋の創業者でこのホールを作った宗次徳二さんです。
宗次さんは客を迎え入れた後、自分もホールに座り好きなクラシック音楽の演奏に耳を傾けます。

自分が作ったホールで世界の演奏家の音楽を聴く、いかにも優雅な人生に見えますが、宗次さんが歩んだ人生はすさまじく厳しいものでした。
15年くらい前、あるセミナーで宗次さんの話を聞く機会があり、その壮絶な生い立ちに驚いたことがあります。
人の成功を祝福する事は容易ではありませんが、宗次さんの生い立ちと人間性を知れば、誰もがその成功を心から祝福するはずです。


宗次さんの人生を下記サイトから引用します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「壮絶すぎてやばい!孤児院育ちCoCo壱番屋創業者宗次徳二の半生」
「INTERVIEW」
「辣腕経営者の朝の過ごし方」
宗次徳二-Wikipedia]

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「戸籍上は石川県生まれですが、両親が誰なのかわかりません。兵庫の孤児院で育ち、3歳の時に雑貨商を営む夫婦に引き取られました。ところが養父がギャンブルにはまって財産をなくし、夜逃げするように岡山に移ったんです」

「数百円でもあれば、それをギャンブルに使う性格。パチンコに行く毎日でした。私は掃除をしていないだけで、殴られたりもしました。すごく暴力を振るう人でした。」

「時には荒れて、隣近所に包丁を持って暴れることもありました。そんな養父に愛想をつかして、養母は家を出ました。」

「雑草を食べて育ちましたから。食べるものにも事欠き、隣の家の暖かな食卓をうらやましく覗いた日々だった」「ごちそうといえ ば、煮干だったんです。」

「パチンコ店でシケモク(たばこの吸い殻)を父のために必死になって拾った。私は掃除をしていないだけで、殴られたりもしまし た。」

「電気もなく、ろうそくの生活でしたよ。千円札なんて見たこともなかったです。」

「貧乏で弁当を持っていくことができずに、みんなが昼ごはんを食べ終わるまで、校舎の裏で一人じっと待っていることもありまし た。」

「家庭訪問も断った。4畳半の貧乏生活を学校の先生に見られるのが嫌だったんです。

   (亡くなった養父についての思い出)

「職業安定所から年末に一時金として、少しだけお金をもらえたことがありました。その時に、そのお金で養父がリンゴを2つ買 てくれました。それくらいしか思い出らしい思い出はないんですが、その時の嬉しい気持ちは今でも覚えていますね。」


   (無私無欲ぶり)

お金を自分のために使うのは恥ずかしくてできない」
「時計は9800円、シャツは980円で、自宅は接待用に少し大きなものを建てたのだが、それも恥ずかしいこと」

「社外の交友関係などは一切広げずに、常にお客様のことだけを考え続けていました。自分に期待してくれる人に少しでもお返しをしたい。だから時間も体力も無駄遣いしたくなかったんです。」

「一日ずつ、一月ずつ、目の前のお客さまに対して一生懸命にサービスをすること。ただ、それだけのことでした」

「何よりもまず、「お客様第一主義」ですね。自分たちのことは二の次で、お客様に身を捧げる。」

「儲けたい、成功したい、という気持ちはありませんでした。ただ人に喜んでもらいたかったんです。」

   (少年時代を振り返り)

「幼いながらも「誰にも頼らずに、一人で生きていかなければ」と思った」

「15歳まで誰からも見向きもされなかったんです。本当に孤独な15年間でした。」

「すごく孤独な人生でした。だから少しでも他人から関心を持ってもらいたかった。興味を持ってもらいたかったんです。それが私 の原点になっています。だから、商売を始めて、お金を儲けるというよりも、人に喜んでもらいたかったんです。少しでも自分がいて 良かったと言ってもらいたかった。」

   (宗次さんの座右の銘)

「感謝」です。特に経営者は感謝の気持ちを常に持ち続けることです。経営なんて自分一人では何もできません。お客様、取引先、そして社員の方たちに常に感謝の気持ちを持ち続ける。私の場合は、苦労した生い立ちがあるので、自然と人に対する感謝の気持ちを持ち続けることができました。

「私は現役時代、趣味も持たず、友人もつくりませんでした。飲み屋に行ったこともありません。仕事の邪魔になることは、何ひとつやりませんでした。年間5640時間(1日15時間半を365日)働くこともありました。そうやって率先垂範しないと、部下は働いてくれないと思ったからです。」



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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

先だってハウス食品がCOCO壱番屋の株を買い取り、宗次さんの売却益は220億円になると言われています。しかし宗次さんがそれで贅沢な生活をしないことは確かです。これまで通り、クラシック音楽の普及と演奏家の育成、スポーツ振興と助成、それにホームレスの救済に一層専念するはずです。

経営者であった時、宗次さんは早朝4時45分に岐阜県可児市の自宅を出て、出社後1000通以上の「お客様アンケート」に目を通し、それから店舗と向こう三軒両隣を掃除をすると言われていました。
経営を退いた今でも毎朝4時前に起きて6時には宗次ホール周辺を掃除、昼にはスタッフ15人分の食事を作るのだそうです。

一時期マスコミは経済的な成功者を勝ち組と呼び、貧困層を負け組と呼びました。しかし経済的成功者の多くが家庭的な不和や仕事上の悩みを抱えていて決して幸せとは言えません。
そんな中で、この人ほど幸せな人はいないのではないかと思えるのが宗次徳二さんです。

宗次さんは生まれ育った過酷な環境に見事に打ち勝ちました。
孤児院で育ち、ギャンブル好きの養父に引き取られ、これ以上ない貧しさの中でも決して魂を汚さず人間性を磨いてきました。
資産家となった今も自分のためではなく人のために生きています。
心からその成功を祝福したい人です。






何も持たない幸せを昔の日本人に見る

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世界一貧しい大統領として、ウルグアイのムヒカ大統領が話題になっています。
その一言一言に叡智が感じられますが、ムヒカさんの理想とする生き方を一番理解できるのは日本人であり、かつての日本人の生き方は、真の豊かさとは何か、幸せとは何かを示すものでした。

ムヒカさんの言葉
「私は聞いてみたい。
今日の若者は物がない昔の若者より幸せなのか。
今の日本はあまりにも西洋化してしまい、本来の歴史やルーツなどはどこかに行ってしまったのかと聞きたくなる」

「私はペリー提督が外国人を受け入れていなかった時代の日本を訪問した時のことが書かれた本をよく覚えているよ。当時の日本人は「西洋人は泥棒だ」と思っていた時代だね。あながち間違っていなかったけど。」

「日本人はとても賢いと思うよ。だって彼らは気づいていたんだ。
西洋の進んだ技術にはとても対抗できないから、彼らは勝てる技術を作ろうと頑張ったんだ。
そしてそれを成し遂げたんだ。しかし日本人の魂を失ってしまった。」

「昔の日本人はすごく強かったんじゃないかな。多くの障害を乗り越える強さを持っていた、それがあなたたちなんだよ。」

「江戸時代、金が無くても人は幸せだった。仕事は午前中で終わり、午後から人々は風呂に行き落語を楽しんだ。その中でつつましやかな生活をしていたのは武士だった。」

ムヒカさんは子供の頃、移民としてやってきた日本人から日本の素晴らしさを聞いたようです。
江戸は高度のリサイクル社会で物には魂があると信じ大切にしました。(古来日本人は古いものに宿る魂を付喪神[つくも神]と呼んでいました) 使い捨て文化から一番遠かったのが日本です。(以前の記事「日本の色」をご覧ください)

参照;日本の色

ものが無くても豊かに生きられることを示したのがかつての日本人であり、幕末から明治の始めにきた外国人は、一様に日本人の幸せそうな笑顔に驚いています。

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明治11年、イギリス人の女性旅行家イザベラ・バードは、東北、北海道を3カ月にわたって旅し、その時の体験を『日本奥地紀行』として出版しました。
最初一人旅を不安に思っていた彼女は、江戸時代が色濃く残る明治の初めの日本が女性の一人でも安全であることに気づきます。
「もうとっくに分かっていることですが、この国の旅の安全は確かなことです。
かつての不安でいっぱいだった自分がおろかに思えてなりません。
家々では裸の子供がはしゃいでおり、犬も子供達も大人も誰もが皆満ち足りた穏やかな表情をしているのです。」
「男達は仕事を終えて家路につき、食事をして煙草を吸って、子供たちの遊びを見守り、いつもの時が過ぎてゆきます。どんなに貧しくても、人々は暮らしを楽しんでいるのです。」

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あふれる笑みのそのわけは、西洋の常識では推し量ることのできないものでした。
彼女はこの旅で西洋の価値観にはない幸せに気づかされます。

幕末から明治にかけて、日本を訪れた外国人達は一様に驚きを語っています。
江戸時代の暮らしぶりを色濃く残こす日本人を見て、外国人たちはこう言いました。
「この民族は笑い上戸で心の底まで陽気である。」
「この日いづる国ほど安らぎに満ち、命を蘇らせてくれ、古風な優雅があふれ、和やかで美しい礼儀が守られている国はどこにも他にはありはしないのだ。」

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イザベラ・バードは旅をするにつれ、次第に日本人が根っこに持つ美徳に気付き始めます。
「昨日革紐を1本落としてしまいました。もう陽は暮れていましたが、馬子は1里引き返して見つけてきてくれました。お礼にチップを渡そうとするのですが、彼は受け取りません。
旅が終わるまで無事に届けるのが当然の責任だというのです。」
それまで貧しさだと感じていたものが、実は自分の物差しの貧しさとは違うものだと気付かされました。

山形県の米沢の平野を訪れた時、米沢の町が栄え、温泉町の赤湯が湯治客でにぎわう様子を見て、まるでエデンの園のようだと感じます。
「鋤で耕したというより、絵筆で書いたようです。
ほほ笑むような豊かな大地。ここは東洋のアルカディア(桃源郷)です。」

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秋田を訪れたバードはその礼儀正しさに驚きます。
「この国の均質さは大変興味深いことです。どんな階層であろうとも、社会が求める礼儀作法は基本的に同じです。秋田の人は田舎者ですが、東京の人と同じように、礼儀正しく丁寧です。」

かつての日本は、衣・食・住、どれをとってみても慎ましやかでした。
「農民はたいてい塩漬けにした魚と、消化に悪そうな野菜の漬物を食べています。
まるで食事の時間を短く済ませることが人生の目標の1つであるかのように、瞬く間にお腹の中に詰め込まれます。足るを知る・・・質素な暮らし。
私達が汚らしいと感じる貧乏とは、怠け者や酔っぱらいだったりするのですが、ここでは怠け者はもちろんのこと、酔っぱらいもいません。
ただただ農業に明け暮れ、安息日すらありません。
彼らは礼儀正しく親切で勤勉です。」

「フランス人は10着しか服を持たない」という本があります。原題は「私がマダム・シックから学んだこと」であって、10着しか服を持たないは題名に偽りありですが、著者ジェニファー・L・スコットは日本の寺院の内部の簡素さを見て、物を持たないことの美しさに驚いたといいます。

葛飾北斎は90年の生涯で90回以上引っ越しをしています。ひどい時には1日3回の引っ越しをしたと言われていますが、そんなことができたのも、何も持たず、風呂敷一つで引っ越しをしたからでしょう。無論北斎を貧しいと言う人はいません。

何が豊かで何が幸せか、昔の日本人はその答えを知っていました。







日曜喫茶室と東京大空襲

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はかま満緒さん

NHK・FMで毎月の最終日曜日、12時15分から放送されている「日曜喫茶室」という番組があります。
放送作家のはかま満緒さんが喫茶店のマスターとなり、様々なゲストの興味深い話や楽しい話を聞きだすもので、今年4月に40周年を迎える長寿番組です。

最近もはかま満緒さんの張りのある元気そうな声を聞いて、この分だとまだ10年位は大丈夫かなと思っていましたが、2月16日に心不全で突然この世を去られました。
亡くなる前日にNHKで「日曜喫茶室」の収録をされていたようで、こんな死に方ができる人は少ないなと感じました。

先だって林家三平さんを偲ぶ番組で、はかまさんが東京空襲の際、青山の表参道あたりでたくさんの死体を見たと言われたのと、大正生まれの林家三平さんのお笑いの台本を書かれていたのでかなりのお歳と思っていました。78歳だったのは意外でした。
往年の歌手や俳優が亡くなるたびに、思っていたより年をとっていなかったことに驚きますが、それは子供の頃、テレビで見る人がはるかに大人に見えたことと、自分が歳をとったためでしょう。

「日曜喫茶室」が今後どうなるかわかりませんが、3月27日はこれまでの放送の中から再放送をするそうです。是非お聴きください。

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時忘れじの塔

先の「昭和の爆笑王 林家三平を偲んで」という番組に、三平さんの奥さんである海老名香代子さんが出演されていました。香代子さんのお父さん、お母さんはともに昭和20年3月10日の東京大空襲で亡くなられています。
香代子さんは東京大空襲の犠牲者を悼む慰霊碑を上野恩賜公園内に建立し、東京大空襲を風化させない活動をされています.

一昨年の供養式を前にした朝、香代子さんが起きようとすると体が重く板のようになって身動きができなかったそうです。
その時、38歳で死んだお母さんの「かよこちゃん、かよこちゃん」という声が聞こえ、それに対し現在80歳を超えている香代子さんが、「かあちゃん、かあちゃん」と叫ぶと、お母さんは香代子さんに手を差し伸べて体を起こしてくれたそうです。

ベッドに起きあがった時にはお母さんの声は消えていましたが、家事と家業でガサガサだったお母さんの手の感触ははっきり残っていたと言います。涙でぐしゃぐしゃになりながら家族が待つ階下に行き今の話をすると、「親ってありがたいね」とみんなが泣いたそうです。

いつまで経ってもお母さんは子供の心配をし、見守り続けているのだなとあらためて教えられました。いつも自分を犠牲にして育ててくれた母に感謝するとともに、その百分の一も恩返しができなかった自分の親不幸を思います。


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東京大空襲

東京大空襲は過去の大火が春先の強風時期に集中しているというデータに基づき、3月10日未明に行われました。軍需施設ではなく市民が暮らす下町を選び、木と紙でできた日本家屋を焼き尽くすために特別な焼夷弾を開発しています。
わざわざ砂漠に日本家屋を建てて実験を行ったのです。

使用した焼夷弾は1平方メートルあたり3発(2000t)に及びました。
東京大空襲の責任者カーチス・ルメイ少将は、自分たちが行ったことが虐殺であることをよく認識していました。。

アメリカの国防長官であったマクナマラは、グアム島で司令官ルメイの指揮下で働いていました。
「マクナマラ回顧録」にこう書いてあります。
〈たった一晩で、われわれは10万人の民間人ー男、女、子供を殺した。戦争に勝つためなら、一晩に10万もの民間人を殺していいのか。戦争が終わってからルメイはぼくに言った。もし敗けていたら、おれたちは戦争犯罪人だね、と。その通りだと想う。〉


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砂漠での実験によりM69油脂焼夷弾を開発

死者10万人を超える東京大空襲は、原爆に匹敵する大虐殺です。そのことを恨みに思わない日本人の高潔な心は誇りに思います。しかし同時に原爆も東京大空襲もその責任は日本にあると教え込まされた自虐史観については知っておかなければなりません。

参考東京大空襲

日本の戦後に行われたこと



死は肉体からの卒業

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先だって、長年ともに学んできた知人がガンで息を引き取りました。
大きな喪失感があって、それが癒えるまでどれほどの時間が要るだろうかと思ったのですが、人の悲しみは時間によって薄皮をはがすように小さくなることを実感しました。記憶が薄らぐことは、悲しみを乗り越えるために神が与えた慈悲なのでしょう。

知人は喉のリンパのガンが再発し放射線と抗がん剤の治療を勧められましたが、それをせずに代替療法を行いました。結果的には一千万近く費やした代替療法は何の効果ももたらさず、むしろ喉をガンが圧迫して息ができない苦しみを味わうことになりました。

抗がん剤は副作用が大きくその割に効果が期待できないとする意見があります。また喉の放射線治療は痛みで水も飲めなくなるようです。そうしたことから代替医療に救いを求めるのですが、今回の知人の苦しみを見て、自分がガンになったら多分手術、放射線、抗がん剤の治療を選択するだろうと思いました。

もし代替医療で知人が助かっていたら、逆に現代医療を拒否して良かったと思うはずですから結果論かもしれません。しかし多大な治療費と苦しみを伴った知人の代替療法は、ガンと言う難敵を相手にするにはあまりにも無力すぎました。
今の後悔は知人が放射線と抗がん剤の治療を受けていればというものですが、しかしそれも運命なのでしょう。

人の本質は魂で肉体はその衣裳にすぎません。古くなった服は脱ぎ捨ててあの世に帰り、また別の衣裳をまとって新しい人生を歩みます。
しかし肉体を失うことはその人のすべてを失うように思われます。
火葬場で遺骨となった知人を見ながら、魂の輪廻転生を知っていても別離の悲しみは大きなものであることを感じていました。
縁生の魂は来世においてもいつか出会い、学びの旅を続けます。しかしその時は過去世での出会いを忘れています。
その前に死後天上界に帰った魂は、ふたたび縁生の仲間たちと出会います。その時にお互いの過去世での生き方について振り返り、来世での学びを誓うようです。

死は永遠ではなく、魂こそ永遠であることを知れば人の生き方は変わります。
現代人は魂を語ることを非科学的なことのように考えていますが、潜在意識の中に魂の本質が隠されていることにいづれ気づくはずです。





6歳児の書いたお別れの言葉ー続き 再掲

小さな人生論〈2〉「致知」の言葉小さな人生論〈2〉「致知」の言葉
(2005/10)
藤尾 秀昭



あの忌まわしい池田小学校の事件の折、先生たちがパニックになり右往左往していた時に、3人の子供が相談して110番しました。この子供たちは丹養塾幼稚園の卒園生でした。
残念ながら園長先生が亡くなられた後、丹養園幼稚園は運営されていません。

「お別れの言葉」で送られた園長先生は吉田良次先生といいます。
兵庫県伊丹の農家の後継ぎとして生まれました。師である安岡正篤氏に出会ったのが昭和24年、18歳の時でした。「自分の人生は一介の農民としてこのまま終わっていいのか」その煩悶が師の門を叩かせました。以来、吉田さんは農業に励む傍ら、安岡正篤氏の教えによって古典の偉人たちの考えを学びました。

吉田さんはその学びを後世に伝えるべく、自宅の納屋を改築し、「丹養塾幼稚園」という保育園を開設し、古典の徹底した素読教育を実践したのです。

 園児たちの1日は、朝30分の"勤行から始まります。本居宣長などの「和歌」や三輪執斎の「憤」など古典の名言を唱和させます。意味は教えず、吉田さんが朗誦し、その後を子供たちが唱和します。ただそれを繰り返すのですが、この繰り返しが驚くべき力を発揮したのです。

1年もしないうちに、どの子も古典の名言をすらすらと朗誦するようになったのです。それだけではありません。新しく入ってきた子は年上の子に倣って朗誦し、いつか漢字まじりの原文を読み、書き、意味を理解するようになっていきました。

重要なポイントを整理すると

1.素読の重要性
古典を原文のまま繰り返し素読することによって、原文の持つ格調やリズムを覚える。
ヨーロッパではシェークスピアや聖書の文言を暗誦させます。

2.丸暗記の重要性
素読によって暗記したことは成長過程でその意味を理解し、気づきや指針となる。

3.幼児期に本物を教える
子供の能力に限界はありません。バッハの音楽を聴いて育てばバッハが好きになり、名演奏を聴かせれば名演奏に感動できる感受性が育ちます。
よく引き合いに出すバイオリンの才能教育は、バイオリンを始めたばかりの子供たちに名演奏を聴かせます。古典の素読です。

昔の日本人の教えに間違いは無かったと、あらためて痛感させられます。





6歳児の書いたお別れの言葉ー丹養塾幼稚園

小さな人生論〈2〉「致知」の言葉小さな人生論〈2〉「致知」の言葉
(2005/10)
藤尾 秀昭

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 致知出版社刊行の藤尾秀昭著「小さな人生論2」のなかに、6歳の女の子が書いた幼稚園の園長先生に対するお別れの言葉が紹介されています。
とても6歳の子どもが書いた文章とは思えませんが、このような子どもを育てた園長先生の教育こそ、かつての日本人を育てた教育だったのでしょう。
日本を取り戻すとは、教育を取り戻すことであると改めて痛感します。

『お別れの言葉
園長先生、歩未の声が聞こえますか。2歳10ヶ月の時、丹養塾幼稚園に入園してから、漢字、算盤(そろばん)、諺、俳句、花園文庫、伝記、少年日本史朗誦選集など、園長先生には沢山の事を教えて頂きました。

毎日一生懸命勉強して南宋の文天(ぶんてん)祥(しょう)の正氣(せいきの)歌(うた)を暗誦できるようになった時も、算盤の大会でトロフィーを貰って来た時も、園長先生はとても喜んで褒めて下さいました。

それから園長先生は色々なところに連れて行って下さいました。北海道巡歴研修でクラーク博士の像の前で「青年と大志」を朗読した事、青森文字色駅のデパートの軒先で野宿をした事、北陸巡歴研修で、永平寺で座禅をした事、橋本左内の銅像の前で啓発録(けいはつろく)を読んだ事、沢山の楽しい思い出があります。

他にも、親子教室甲山の遠足、運動会、お餅つき、立志集、卒園式、小音楽会、桃太郎の劇など園長先生に教えて頂いた素晴らしい思い出が沢山出来ました。

これから園長先生は天国へ行って、私達の事を見守っていてください。

私達は、園長先生に教えて頂いた事をいつまでも忘れず深くさぐって強く引き出す人になります。天から受けたものを天にむくいる人になります。そして、この世に役立つ人になります。園長先生、ありがとうございました。 
平成15年11月23日 園児代表 吉田歩未』



私達は、園長先生に教えて頂いた事をいつまでも忘れず、深くさぐって強く引き出す人になります。天から受けたものを天にむくいる人になります。そして、この世に役立つ人になります。園長先生、ありがとうございました。

こんな表現が6歳児にできるのです。園長先生の教育のすばらしさに心を打たれます。
親や先生が引き出せば、子どもの能力には限りがないのです。

バイオリンの才能教育研究会の創始者 鈴木鎮一先生が、「どの子も育つ、育て方しだい」と言い続けられたことを思い出します。


追記:
橋本左内が啓発録を書いたのは14歳の時でした。人に見せる為ではなく、自分を戒め、向上さすための自戒録として書かれています。昔、12歳から15歳位の間に元服式を行い、大人として自立する覚悟を決めましたが、20歳の成人式が何の意味も持たない現在と比べて、かっての日本人の素晴らしさを痛感する文章です。

つづく
愛に生きる―才能は生まれつきではない (講談社現代新書 86)愛に生きる―才能は生まれつきではない (講談社現代新書 86)
(1966/08)
鈴木 鎮一

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童謡・唱歌は日本の宝 

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ブログを初めて8年経つと、過去にどんな記事を書いたのか忘れてしまいます。久しぶりに過去記事を見ると、結構面白い記事や参考になる記事があって、もう一度ご紹介しても良いのではないかと考えました。しばらく過去記事を再掲させていただきます。


「ふるさと」や「かあさんの歌」、「浜辺の歌」など、日本には誰でも懐かしさを呼び起こされる唱歌や童謡が沢山あります。これらの曲は主に明治の唱歌運動、大正の童謡運動などで作られたものですが、かっての日本人が子供の情操教育をいかに大事に考えていたかを物語るものです。

以前NHKFMで童謡唱歌の特集があり、懐かしい曲と貴重な解説をおもしろく聞きました。

「ずいずいずっころばし」の歌詞は何のことか、まったく意味が分かりませんでした。これは徳川三代将軍家光の頃に始まり240年続いた「茶壷道中」の様子を表したものだと言います。京都の宇治で摘まれた一年分の新茶を茶壷に詰めて、中仙道から江戸まで献上行列をしていました。

この行列はぎょうぎょうしく、行列が来ると戸をピシャンと閉めて家に逃げ込む様子を、「~茶壷に追われて戸っぴんしゃん」、行列が通り過ぎるとホットして外に出て喜ぶ様子を 「~抜けたらドンドコショ」、行列が通りすぎるまでは、たとえ親が呼んでも家から出てはいけ ことを、 「~おっとさんが呼んでもおっかさんが呼んでもいきっこな~しよ 」と歌っていると言います。
なるほどね。

野口雨情の「七つの子」の、~かわいい七つの子がいるからよ~は、7歳の子と7羽の子供の二つに解釈できます。しかし7歳のカラスは子供ではなく、またカラスは7つも卵を産みません。これは、昔7歳で「帯びとき式」をして、子供が一人立ちする祝いをしましたが、この7歳の子のかわいい様子と掛けたものだそうです。

その時を代表する作詞、作曲の才能が集まり、子供たちのために作品を作り上げています。これほど質の高い童謡、唱歌は世界に無く、日本の財産だと言えます。

「村祭り」と言う童謡は、市町村合併で村が消えた県では教科書から消えたとのことです。「村の鍛冶屋」も鍛冶屋が無くなったので教科書から消えています。
文化は民族のアイデンティティーです。
私達はこの財産をいつまでも大事に守り続けなければならないと思います。





ネコに襲われた鳩のこと

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先だっての夕刻、家を出たところに鳩がうずくまっていた。どうしたのかと思って周りを見ると黒猫がじっと様子を見ていた。このネコにやられたのだ。
辺りには抜け落ちた羽がたくさん散らばっていて、怪我の大きさを物語っていた。
おもわず鳩を抱き上げて家に連れて帰り、バスケットに入れて風呂場に置いた。
皮肉なことに家には2匹のネコがいるからだ。

抜け落ちた羽の多さにかかわらず、出血が見えなかったのが救いだったが、多分明日の朝まで持たないだろうなと思われた。
死んだ鳩の始末をどうしようか、生ごみで捨てるのもかわいそうだが他にどうしたらよいか思い浮かばなかった。
多分だめだろうと思いながら、水とパンのかけらをバスケットに入れておいた。

翌朝バスケットをのぞいたら、鳩はまだ生きていた。パンくずは食べた形跡がなく、水もそのままあったが生きていたことにホッとした。
万が一と考え、ベランダに出してバスケットの蓋を開けておいた。
30分くらい経ってのぞいてみたが、鳩はまだバスケットの中にいた。やはり無理なのだろうか。
しばらく経ったとき、鳩がいないという家内の声が聞こえた。
あわてて見に行くとバスケットは空だった。やった!と思いながらベランダの外をのぞくと鳩がたどたどしく歩いていた。
しばらくして様子を見ると鳩の姿はなかった。
やった!助かった!!

子どもの頃、すずめのヒナを屋根から取ってきて何度か育てたが、育ったのは1羽だけだった。
つり竿を振りまわしてコウモリを落としたことがあった。こうもりの体には血がにじんでいた。
どうしたらよいかわからず、かごに入れて育てようとしたがすぐ死んでしまった。
子どもの頃は自分の好奇心の残酷さを知らなかった。
1羽の鳩を助けたが、自分の好奇心で命を落とした生き物の方がはるかに多いことを思った。






不老不死の不幸「アデライン、100年目の恋」を観る

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観るつもりだった映画が満席で、同時間帯に上映していた映画「アデライン、100年目の恋」を観た。事故によりいつまでも変わらない若さと美しさを宿命付けられた女性の不幸がテーマだが、明るいラブ・ファンタジーで十分楽しめた。何よりアデライン役のブレイク・ライヴリーの笑顔が魅力的だった。

主人公アデラインは雪で車がリップして川に転落する。低体温症で心臓が止まった瞬間、車に雷が落ちて再び心臓が動き始める。落雷による電磁圧縮作用で老化が止まったアデラインは、100歳になっても外見は29歳の美しいままでいる。

彼女は怪しまれないように10年ごとに名前も住所も変えて生きている。親しい友人もなく心の支えは愛犬と一人娘だけだ。しかし愛犬たちを次々と見送り、娘もすっかり老いてしまったアデラインを待っているのは孤独だった。

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そんな彼女の前に青年エリスが現れ愛の告白をする。エリスは大学時代の起業で手にした資産で社会貢献をしており、その人間性に感銘を受ける。しかし自分の秘密を知られたくないアデラインはエリスの前から消えようと葛藤する。
やがてエリスの愛を受け入れたアデラインはエリスの実家を訪れる。エリスの父親ウィリアム(ハリソン・フォード)は彼女を見るなり驚愕して「アデライン」と呼びかける。彼はかつてアデラインが心から惹かれながらも、自分の秘密を守るために身を隠した昔の恋人だった。
「100年目の恋」というタイトルは内容とあまり関係なく、ハリソン・フォードは主役ではない。


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  テロメア

アデラインが歳を取らなくなった理由は、落雷によって細胞の末端にあって老化と寿命を司るテロメアが働くなったためと言う設定になっているが、老化はテロメアだけで決まるものではなく、また車に落雷した場合は車体の表面に電気が流れるので車内は安全である。
だが、この映画はラブ・ファンタジーであってそんなことはどうでも良い。この映画はアデライン(ブレイク・ライヴリー)の美しいほほ笑みを見るためにあると言って良い。

永遠に若く美しくあることが不幸であるというこの映画の発想は、テロメアの発見によるものだろう。
細胞がいつまでも分裂を繰り返すのであれば、人の寿命は何百歳でも可能だ。細胞分裂の回数を制限するテロメアという存在は、種の保存という観点からは邪魔な存在であり、これは多分創造主の叡智によるものだろう。

様々な肉体と生存環境で魂の修行をするためには、一つの肉体に長く留まるべきではない、創造主はそう考えたのだろう。
もし厳しい環境で人生修行することを選んだ魂にとっては、死は救いとなるはずであり、一方、逆に安楽な環境でどれだけ長く生きたとしても魂の修行にはならない。

ソフォクレスのギリシャ悲劇「コロノスのオイディプス」の中に次のような記述があった。

この世で一番良いことは、この世に生まれないことだ。
二番目に良いことは、 生まれたからにはなるべく早く生まれて来たところ(あの世)に帰ることだ。

日本でも欣求浄土厭離穢土(ごんぐじょうど おんりえどー穢れたこの世を去り、早く極楽に行きたい)という末法思想があった。長い間、人々にとって生きることは苦しいことであり、救いはあの世にあった。

多くの人の衣食住が安定し、生活を楽しむことができるようになったのはほんの近年に過ぎない。しかしそれが今や深刻な高齢化社会に直面している。
もしテロメアと言う寿命を制限するストッパーがなければ、世界はさらに深刻な高齢化問題に直面しているはずだ。

人間にとって死は救いであって、永遠に生きることほどの恐怖は無い。
天国は死後にあるのだから。

「散りぬべき 時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ」  細川ガラシャ




野良猫にエサをやってはいけないのか

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公園などで「ネコにエサをやらないでください」と書かれたプレートを目にします。
こんな表示があると、野良ネコにエサを与えることが悪いことのように思われますが、本当に悪いことなのでしょうか。

野良ネコにエサを与えることが悪いとすれば、いくつかの理由が考えられます。
・エサを与えるとネコが増える。
・ネコがいつく。
・糞尿が臭い。

しかしエサを与えると野良ネコが増えるのかと言えばそうではなく、エサを与えなくても繁殖期がくれば子猫が生まれます。
糞尿の臭いはエサを与えても与えなくても同じですが、実際に公園でネコの糞尿が臭いと感じることはあまりありません。
また、犬は散歩中に頻繁にマーキングしますが、なぜ犬の尿が許され猫の尿が許されないのでしょうか。
ネコがいつくことは間違いないでしょうが、ネコがいついて困るのはネコ嫌いです。ネコ好きは困りません。

「ネコにエサをやらないでください」と書かれたプレートをなぜ表示しているのかを確かめるため、市の担当職員に電話してみました。
最初に出た職員は私の質問に絶句し他の職員に替わったのですが、替わった職員も答えることができませんでした。
結局、「ネコにエサをやらないでください」と言うのはさして理由のある話ではなく、もしかしたらネコ嫌いな人間からの抗議によって始まったことではないかと思われます。
どうもネコは不当に冷遇されているような気がします。


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 動物愛護センターで里親を待つ猫

「野良ネコにエサをやらないで」ではなく、むしろ子供たちから与えさすことによって、弱いものを守る優しさや命の大切さ、あるいは種の違いを超えた愛の交流を学ぶことができるのではないかと思います。
最近野良猫の手足を切断したり、残酷な殺し方をする犯罪がよく報じられます。このことと「野良ネコにエサをやらないでください」という表示は無関係ではないかも知れません。
なぜかと言えば、そのような犯罪を犯す人間は、野良猫にエサをやることが悪いのは野良猫の存在自体が悪いことであり、従って野良ネコを殺すことに罪の意識を感じる必要がないと考えているのかも知れません。

戦後の日本は少数の否定的な意見が声高に語られることが多く見受けられます。
役所などは繰り返し苦情を言い立てられれば、それが少数の意見でも面倒なのでその意見に従ってしまうことがあります。
学校を悩ますモンスターペアレントや悪質なクレイマーもその本質は一緒です。
相手が弱い立場であれば、居丈高に要求を押し付けます。

和を重んじる多くの日本人はあまり自己主張をしないため、サイレント・マジョリティとして存在します。一方、ノイジー・マイノリティは言い分が通るまでうるさく要求するため、少数の意見が社会を動かす危険性があります。
戦後の日本社会をいびつで不健全にした理由の一つが、このような理不尽な要求です。

「ネコにエサをやらないでください」という表示の裏に、日本の戦後病理が潜んでいると思うのは勘ぐりかも知れませんが、当たり前のこととして受け入れていることも、もしかしたら間違っていたり根拠の無いことなのかも知れません。

  猫の子のちょいと押へるおち葉哉  一茶

犬猫しあわせ検定 


老いと青春

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初めて若さを輝かしいものに感じたのは、父親を老人ホームに訪ねた時でした。
献身的にお年寄りを介護する若者たちを見た時、若さとはなんと魅力的なことなのかと目を瞠りました。

それまで会社でいくら若い社員たちを見ても、若さというものにさほど魅力を感じず、むしろ若さゆえの未熟さや危うさを感じさせられていました。当時、自分の中のエネルギーや気力が若者たちに負けていないという自負があったからでしょうが、若さを輝かしく見るという思いはほとんどありませんでした。

しかし老人ホームの中でお年寄りの介護をする若者たちは、老人の枯れて朽ちて行く肉体と、未来のない人生の対極に位置していました。そこには若さの持つ力と輝きがありました。

現在ほど老人の存在が問われている時代はありません。
年金や健康保険、あるいは認知症の問題など、長生きが国の大きな問題となっています。
つい最近、100歳以上の老人が6万人を超えたと発表されましたが、1970年は100歳以上の老人は310人に過ぎませんでした。

「キンは100歳、ギンも100歳」という金さん銀さんのCMがありましたが、100歳が珍しくない今の時代であれば生まれることのなかったCMです。
還暦、古希、米寿、喜寿など、長寿を祝う言葉は、人生が50年以下の時代に生まれた言葉であり、現在はむしろ老害について語られなければならない時代となっています。

自然に死ぬということ

サミュエル・ウルマンの「青春」という詩があります。
この詩を初めて見た時は、「青春」が心のありようであることを言うのに、なぜこのように大げさに語られなければならないのかと辟易しました。

久しぶりにあらためて読んで見ても、やはり大げさな表現に鼻白む思いがしますが、しかしそれはウルマンのせいではありません。原文は平易に青春が心のあり方であることを語っており、訳者の美文調の名訳が私には合わなかっただけです。

しかしこの詩が語っていることはその通りのことです。
人間は魂の修行のためにこの世に生まれてきます。肉体が老化して思考力が失われ、生きていることが魂の向上につながらなくなった時、魂は肉体から離れ死を迎えます。

長生きが単純に良いことであるという認識の中で、病院の延命治療が行われています。しかし老人の延命は、場合によっては好ましくないということを社会の共通認識にしなければならないでしょう。そのことは多くの人がわかっていながら、倫理に反することのように言い出せないでいます。

心にこそすべての価値が存在します。老人問題はこの視点を無視して語ることは出来ません。


  サムエル・ウルマン「青春」
                   佐山宗久 訳 

青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を云う。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、
たくましい意志、ゆたかな想像力、燃える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは臆病さを退ける勇気、
安きにつく気持を振り捨てる冒険心を意味する。
ときには20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない
理想を失うとき初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情は失えば心はしぼむ。
苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥にある。

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、
驚異に惹かれる心、おさなごのような未知への探求心、
人生への興味の歓喜がある。
君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美・希望・喜び・勇気・力の
霊感をうける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪に覆われ
悲嘆の氷に閉ざされるとき、
20歳であろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、
80歳であろうと人は青春にして已む。

________________________________________

「YOUTH」
Youth is not a time of life-it is a state of mind; it is a temper of the will,a quality of imagination, a vigor of the emotions, a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over love ease.

No body grows only by merely living a number of years; peoples grow old only by deserting their ideals. Years wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, doubt ,self-distrust, fear and despair-these are the long ,long years that bow the head and turn the growing spirit back to dust.

Whether seventy or sixteen, there is in every being's heart the love of wonder, the sweet amazement at the stars and the starlike things and thoughts, the undoubted challenge of events, the unfailling childlike appetite for what next, and the joy and the game of life.
you are yang as your faith, as old as doubt ;
as young as your self-confidence, as old as your fear;
as young as your hope, as old as your despair.

So long as your heart receives messages of beauty, cheer, courage, grandeur and power from the earth, from man and from the Infinite so long as your young.

When the wires are all down and all the central place of your heart is covered with the snows of pessimism and the ice of cynicism, then you are grown old indeed and may God have mercy on your soul
.




不幸は突然やってくるのだろうか

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病気や事故など、人の不幸がいつも突然やってくるのはなぜでしょうか。
二人の知人が癌に冒され、一人がこの世を去ったことでそのことを思いました。

一人は以前の記事「心に従って生きる」で紹介したことのある人物で、健康そのものの人でした。北辰一刀流の免許皆伝で少林寺拳法の有段者、スキーの腕前はプロ級でスイスの山岳救助隊員の資格を持っていました。
タバコも止めて健康には何の不安もないように見えたのでしたが、膵臓ガンが発見された時には手遅れで、ついに回復することはありませんでした。

もう一人の知人も癌が発見されるまでまったくの健康でした。舌に違和感を覚え、検査の結果ステージ2の舌癌でリンパにも転移していました。

舌癌の宣告を受けた本人のショックは想像に余りありますが、この人は舌癌を前向きに受け止めることができました。
自分が舌癌になったのは、不平不満、悪口、人の批判など、マイナスの言葉ばかりを発していたためであって、舌を癌にしてしまい申し訳なかった、そのことに気づかせてくれた舌癌に感謝すると語っていました。

その言葉が嘘ではなかったのは、舌癌患者は手術前、眠れなくて睡眠剤を必要とする人が多いらしく、医者や看護士が睡眠剤を勧めたのですが、この人は一度も睡眠剤に頼ることがく、手術の日まで淡々とした表情を崩すことがありませんでした。
その冷静さに医師たちが感心していました。

舌癌手術で舌を切った後は、多くの人が絶望を感じるようですが、術後もこの人は動揺を示すことはありませんでした。
手術後、麻酔が切れてからも全く痛みを感じず、驚くほど早く回復したことに、数百例を執刀した医師が驚いていましたが、そのことと癌に感謝すると言った言葉と無関係ではなかったはずです。
もし胃癌や大腸癌であったら、自分の生き方の過ちに気づくことはなかったかもしれません。舌癌に感謝するという言葉はそのことを意味していたのでしょう。

幸福は突然やってきません。
勉強しないで難関大学に受かることはないし、なまけものの社員が業績をあげて出世することはありません。スポーツで結果を出すには厳しい練習が必要です。
三次元の成功や幸福はその努力の結果であり、善因には善果が、悪因には悪果がもたらされます。

では不幸は突然やって来るのでしょうか。
病気という結果は、生活習慣や体質の問題点が一定期間を経て表に現れるもので、偶然ではありません。

交通事故は偶然でしょうか。
以前、「人の運命について」でポアソン分布のことを書きました。ある交差点で事故が起きる確立は、確率論のポアソン分布で表すことができます。
統計的に予測された時に予測された場所で事故が起きた時、事故を起こした人間は偶然に決まるのでしょうか。
その場所で事故を起こす可能性は、その場所を通る頻度が高い人間ほど高く、またスピードを出す人間や、注意力の衰えた高齢者の確率が高いでしょう。事故を起こしやすい車種もあります。そのようなことを総合すると、事故は偶然というより高い確率で決まっているように思います。
病気や事故は、様々な要因が積み重なり、それが閾値に達した時に現象化するのではないでしょうか。水が零度になった時、相転移して氷になるのと同様です。

幸福も不幸もすべて必然の結果であり、人が突然不幸になるように見えるのは、不幸の原因が現象化する道筋が見えないからにすぎません。
舌癌によって目覚めることが出来た知人のように、人は幸福からではなく不幸や失敗によってしか学べません。
しかし出来れば何事も無い日常の中で、どう生きるべきかを学び、自分を少しずつ変えていきたいものです。




理解されない男の優しさ

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履いていたサンダルを、裸足のストレートチルドレンの少女にプレゼントするリオデジャネイロの観光客


先だって我が家のネコに似た野良猫を、カサの先でいたずらしている子どもがいたので思わずたしなめたのだったが、少しバツの悪そうな顔をしたあどけない顔に悪気はなかった。

子どもは無邪気でありながら残酷なものだ。
思い出してみれば自分もずいぶん残酷なことをした。トンボのシッポを切って枝を差して飛ばしたり、カエルに2B弾という火薬を咥えさせ火を着けたりもした。今ならとてもそんな残酷なことはできない。

子供が残酷なのは善悪の判断ができないことや、他の命の痛みを感じる想像力が無いこと、また好奇心が旺盛なせいだろう。
人は成長するにつれ子どもの残酷さから脱却する。それは自分を客観視することができるようになるからであり、人の痛みや悲しみを自分の痛み、悲しみとする想像力を得るからだ。
自分がされたくないことは人にしてはいけないということに気づくことが社会生活の第一歩となる。

ところで男と女のどちらが残酷だろうか。一般的には男のほうが平気で残酷なことをするように思えるし、事実残酷な事件は男によって行われることが多い。
しかし夫婦の間においては女の方が残酷なことがよくある。
女房と口げんかして勝てる亭主はいない。なぜなら、男はこれ以上言ってはいけないことは言わないのに、女はそれを平気で言う。
それに対する反論は言ってはいけないことに属するので男は沈黙するしかない。女はその優しさに気づくことなく勝利宣言する。
自分がされたくないことは人にしてはいけないという黄金律を、女は亭主に対して適用しない。

藤原正彦さんの著書「この国のけじめ」で、内館牧子さんの「女は三角、男は四角」が紹介されていた。


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・・・・【たとえば結婚以来二十数年、私に会った女房の友達のほとんどが、「優しそうな人ね」と後日女房に伝えた。私は「そうか、やっぱり隠しきれなかったんだ、ボク」などと喜んでいた。ところが、内館さんの「女は三角、男は四角」という数学的な題の本にはこう書いてある。「女たちには取っておきの言葉がある。この言葉は脚が短かろうが、頭が悪そうであろうが、ファッションセンスがハチャメチャであろうが、まったく問題ない。どんな男にもピタリとハマるほめ言葉があるのだ。『「優しそうな人ね』これである。」

さらに追い打ちをかけてこう書く。「もしも、これを読んでいる男性読者が、妻か恋人から、『友達があなたのこと、優しそうな人ねって言ってたわ』と伝えられたら、それは『ほめようのない男』ということに等しい。」 ウルサーイッ。】

そうだ! ウルサーイッ。




日本人の価値観とオオキンケイギク

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5月に日本のあちこちで花を咲かせるオオキンケイギク(大金鶏菊)は、本当に美しい花です。鮮やかな黄色の群生を見るたびに、もっと増えて日本中でその美しい花を咲かせてほしいと思っていました。

ところが最近、折角咲いたオオキンケイギクがあちこちで抜かれています。なぜそんなことをするのかといぶかしく思っていたところ、オオキンケイギクを抜く運動が各地で行われていることがニュースで報じられていました

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なんとオオキンケイギクは特定外来種に指定されていたのです。
特定外来種といえば、ブラックバスやセアカゴケグモなどが思い浮かびます。これらの生物が有害なのは自明のことで、特定外来種に指定されていても誰も文句を言いません。

しかしオオキンケイギクはなぜ有害なのでしょうか。調べてみるとカワラナデシコ、カワラヨモギなど、一部の在来植物がオオキンケイギクの日陰になって生育を阻害されるからのようです。

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 カワラナデシコ                      カワラヨモギ


生物学者にとってそれは許されないことでしょうが、花の美しさで多くの人を楽しませているオオキンケイギクの全存在が、それだけの理由で否定されるべきでしょうか。
あまりにも理不尽な気がします。

古来、日本人の価値観の中心には美がありました。万葉集で天皇や貴族の歌と詠み人知らずの歌が同列に扱われたのも、地位や財産よりも美がすべての価値に優先すると考えたからでしょう。

おいしいことを美味と書き、しつけを躾と書き表します。「心がきれいな人」、「心が美しい人」と言いますが、「心が正しい人」とは言いません。正義という相対的なものよりも、美こそ疑う余地の無い価値であると考える日本人の心性の現れです。

オオキンケイギクを特定外来種に指定した専門家たちの価値観の中では、美は重要な位置を占めていなかったのかもしれません。
在来種を保護することは当然のことですが、オオキンケイギクに癒される多くの人が存在することを思えば、その全存在を否定する特定外来種の指定にはためらいがなければならないはずです。

敬愛するコラムニストの山本夏彦さんは、「美しければすべてよし」という本を書き、色紙にもこの言葉を書いていました。
ご存命ならきっとオオキンケイギクの駆除に反対されたのではないかと思います。

オオキンケイギクを抜かないでほしい。
今からでも特定外来種の指定を解除してほしいと切に願います。






天才の栄光と挫折

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  さくら花 おそしと待ちし世の人を 驚かすまで咲きし今日かな  樋口一葉


渋谷区が同性カップルをパートナーとして公的に認めることになった。世田谷区も検討しており、この流れは加速するだろう。
その事が良いことなのかどうかわからないが、天才数学者アラン・チューリングが今の時代に生きていれば、不幸な人生の終末を迎えることはなかった。

「イミテーションゲーム」という映画が上映されている。
第二次世界大戦中、ドイツ軍が作った世界最強の暗号「エニグマ」を、天才数学者アラン・チューリングが解読する話だ。


天才の栄光と挫折―数学者列伝 (文春文庫)天才の栄光と挫折―数学者列伝 (文春文庫)
(2008/09/03)
藤原 正彦

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「イミテーションゲーム」を観たのは、アラン・チューリングに対する興味からだった。
天才数学者アラン・チューリングのことを初めて知ったのは、藤原正彦さんの「天才の栄光と挫折」という本によってであった。
暗号解読と言うトップシークレットについて、明らかな史実はほとんどわからないはずだから、映画の内容は想像によって作られたものだろう。しかしシナリオは良くできており、映画としても十分楽しめた。

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第2次大戦中、イギリスは食料や軍需物資の半分をアメリカから輸入していたが、ドイツ軍の潜水艦Uボートによって、毎月30万トン以上の船が撃沈されていた。
しかし暗号が解読された7月は12万トン、11月には6万トンに減少し、ドイツはUボート作戦を1年9カ月間中止している。

その後暗号をさらに複雑化したドイツ海軍は、1942年8月にふたたび大西洋でのUボート作戦を再開し、9月には48万トン、10月には62万トンの輸送船が撃沈され、イギリス所有の商船が無くなるほどだった。一方、撃沈されるUボートは月に数隻にとどまっていた。

この新暗号は解読に困難を極めたが、1942年の暮れに解読され、被害が急減するとともに、1943年1月から5月までに100隻近くのUボートが撃沈され、5月下旬にはUボート作戦は中止された。


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 エニグマ

もし「エニグマ」が解読されていなければ、イギリスはドイツに降伏し、第二次大戦の終結は2年遅れただろうと言われている。
そうなれば、アメリカと日本の戦いも大きく変わっていたはずだ。「エニグマ」の解読はそれほど大きな出来事であったのに、1970年頃までその事は秘せられていた。
イギリスはドイツから没収した数千台のエニグマ機を、信頼できるものとして旧植民地に使わせ、それを盗聴していたので解読の事実を伏せていたためだ。

イギリスを救い、世界の歴史に少なからぬ影響を与えた天才数学者アラン・チューリングは、戦後数学の研究に戻ることはできず、最後は不幸な結末を迎えることとなった。


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 アラン・チューリング

1952年、彼は街かどで知り合った若い男性と一夜を過ごした。その後、自宅に空き巣が入り、アラン・チューリングは容疑者として若い男の名を告げたが、一夜を過ごしたことまで話してしまった。

当時ホモセクシュアルは違法であり、彼は逮捕され有罪の判決を受けた。留置場に入るか女性ホルモン注射で性的機能を失うかの選択に対し、彼はホルモン注射を選んだ。
1954年6月、彼は青酸カリで自殺した。

2013年、アラン・チューリングに対しエリザベス女王による死後恩赦が公式に認められた。

The Independentの記事

キャメロン首相は次のような声明を出している。
「アラン・チューリングは傑出した人物であり、ドイツのエニグマ暗号を解読したことで、第二次世界大戦においてこの国を救うため重要な役目を果たしました。
チューリングの貢献は無数の人々の命を救いました。かれはまた、現代的コンピューティングの父とも称される多大な科学的業績を通じて、この国に大きな遺産を残しました。」

英国を救うとともに、機械による計算を可能にする人工知能理論を提示し、コンピューターの先駆けとなるチューリングマシンを開発した天才数学者アラン・チューリングの人生は、同性愛によって悲劇的な幕を閉じた。

生命保存という最も重要な自然法則に反していながら、キリスト教の倫理が入るまで同性愛は大した問題ではなかった。
古代ギリシャでは同性愛は普通のことだったし、日本でも戦国時代は男色が普通で、織田信長の近習森蘭丸はホタル侍と言われていた。
もしかしたら、渋谷区の決定も大した問題ではないのかも知れない。

人間は生まれる環境を自分で選んで生まれてくるはずであり、そうだとしたら性同一障害の肉体を選んで生まれて来ることにも意味があるのかも知れない。
しかしそのことを通して一体何を学ぶのだろうか。




命は愛

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横手 かまくら祭り


すべての人間は、どなり声よりやさしい言葉が好きです。怒られ、ののしられるより、励まし慰められることを喜びます。
憎しみの言葉には耳をふさぎ、愛の言葉には耳を傾けます。
なぜかと言えば、命の本質は愛であり、命は愛を求めるからです。

それは人間だけでなく、動物も植物もそうです。猫や犬も可愛がってくれる人になつき、どなる人を避けます。頑張れと声を掛けられた植物はよく育ち、嫌いと言われた植物は育ちません。

昔の日本人は言葉の持つ霊力を良く知っていて、それを言霊と名付けました。
やまと言葉には耳障りな言葉がなく、やさしい言葉、美しい言葉に満ちています。それは日本人の心の優しさを表すと同時に、その鋭敏な感性が忌み言葉の持つ悪しき力を知っていたためだと思います。

『万葉集』で柿本人麻呂は次のように歌っています。
磯城島(しきしま)の 大倭(やまと)の国は 言霊の助くる国ぞ まさきくあれ
(日本という国は、言霊が助けてくれる国である。幸多かれと願う)

ところで免疫の仕組みは、神業と言うしかないほど奇跡的な巧妙さで作られています。
生体に免疫システムがあることは、命が神の愛によって作られ、命の本質が愛であることの証明であると思っています。

怒りや恨みや愚痴は免疫力を下げ、感謝や喜びや笑いは免疫力を上げます。
神の心に叶う愛の心や言葉によって免疫力が上がり、神の心を否定する怒りや恨みによって免疫力が下がることも、命の本質が愛であることの証明ではないでしょうか。
命の本質はすべての生命に共通です。それは神の愛です。