感謝の習慣

通販の「やづや」が「やづや心の文庫」という小冊子を出しています。
その中に「幸せは自分でつかむもの」という1冊があります。
大野勝彦さんという方の講演を記録したものです。
大野さんは熊本でニンジン栽培農家をされていました。
広い畑に肥料を散布するために、トラクターに接続する肥料散布機を使用します。
この機械の一番下に心棒があり、この心棒が回転して肥料を下に落とします。
使用した後はすぐに洗っておかないとさびてしまうため、ホースでごしごし洗いますが、
心棒の下はブラシでこすることができないので大野さんはギアをいれて回転させました。
上から水をかけながら見ると、心棒の右側にゴミがついていました。
エンジンを一番スローにしていたので心棒はゆっくり回転しています。
このゴミをつまんで捨てようと右手でゴミをつかみました。
心棒には羽がついていますが、ゴミをつまんだ瞬間に羽が出てきて右手の指を挟みました。
挟まれた手はバリバリと音を立てて下に回ってペチャンコにつぶれました。
「しまった」と思った大野さんは右手を抜こうとして左手を出しました。
その結果、今度は両手が巻き込まれてしまったのです。
「誰か来て!助けて!」と叫ぶと家の中からお母さんが出てきましたが、機械の止め方がわかりません。
「うわー、俺はまだ死なれん!」と思った大野さんは反動をつけて体を思い切り後ろに引いて、自分の両手を引きちぎりました。
大野さんは日赤病院で2回の切断手術を受け、そのあと熊本機能病院で義手をつけるための切断手術を受けました。
この時の心境を次のように述べています。
「突然のこと。何の前ぶれもなく始まった手無しの生活。病院の手術台の上で、幸せが足元からくずれていくのを数えていました。
食べること、トイレ、着替えからドアの開け閉めまで、人の手を必要としました。額の汗さえ、一人でぬぐえないのです。」
その後義手に筆を縛り絵や字の練習をし、自動車の運転も義手によって可能となりました。
現在講演活動をされている大野さんは講演の最後に、自分の手に感謝を込めて「ありがとうと言ってください」と聴衆の方にお願いするそうです。
事故や病気や不幸せな出来事は突然やってきます。
そのとき、それまで当たり前だったことが実はありがたくて幸せなことだったと気が付きます。
いつも一緒に居る家族も、失って初めて実はかけがえのない宝物だったということに気づきます。
残念ながら人間は失うまで持っているものに気づきません。大野さんの体験談などを読むと、そうだ、感謝しなければいけないと気づきますが、時間が経つといつの間にか忘れてしまいます。
人間の決意は歯磨きと一緒で、毎日の習慣にしなければならないと改めて思います。
「ありがとう」の反対語